Essay~ピュアハート~

2014年6月27日 (金)

夢が叶うということ~出版に寄せて

こんばんは。今夜は新月です。

新しいスタートをするには最適の日とされ、お月様に願いをかける人もいることでしょう。

実は私もそのひとり。

今回の新月の願いは、やっぱり新刊「何があっても絶対、大丈夫!~桜の木が教えてくれたこと」(ビオ・マガジン)が無事、書店に並び、皆さんが手に取ってくださり、お家に連れて帰ってくれることかなぁ。

今月末から7月初めにかけて全国の書店に並ぶそうです。

これまで支援してくださいました皆様、本当に、本当にありがとうございました。

出版社であるビオ・マガジンの皆様、本当にありがとうございます。

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どなたかのお役に立てればと、原価価格の自費出版でこの本を冊子として領布したのが4年前の春。

わずか1ヵ月半で1000冊売り切れて、第2刷りを出して、半年ほどで800冊手元を離れました。やがて残りの本もすべて完売しました。

中にはおひとりで100冊購入してお知り合いに配ってくださった方もいらして、その反響に私自身驚いたほどでした。

昨年の暮れから出版に向けて歯車が回り始めました。

たくさんの奇跡が起こり、多くの方のお力を頂いて、桜の本が出来上がりました。

この雪崩のように起こった奇跡については、またの機会にお話させていただきますね。

私は「桜の木が教えてくれたこと」を、いつかは書店売りの本にしたいとずっと想っていました。

夢、といってもいいですね。いつか…ですから。

そんな想いを胸の奥に置きながら、日々、目の前のことに従事していました。

願いを叶える極意は、想いの密度を高めること。

意識を叶えたい願いに向けて、成就したイメージを先に持って、本気で言葉にし、具体的に行動し、100%努力していくことです。

そうすると早く願いが成就するのだと思います。

言葉も、「夢」ではなく「目標」に置き換えること。これがコツなのかもしれません。

夢はまだほんわり甘いのですね。目標になると俄然、厳しくなる。

目標達成のために具体的に行動していくわけですから、けっこうキツイです。

私の場合は、夢が叶うまで4年かかりました。

先に述べたようにしていれば、おそらくもっと早く“出版社から本を出して書店に並ぶ”という夢が実現したことでしょう。

ただ…4年の歳月が私を育ててくれたのだと思うのです。

心を少し成熟させてくれて、そのお蔭で当時では書けなかった内容の前書きとあとがきが書けて、文章の加筆修正もできたのだと思います。

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時が満ちて花が開いた……。これが私らしい歩みだったのでしょう。

人それぞれ事を進めるペースや、花開く時期が違いますから一概には言えませんが…焦る気持ちとどう折り合いをつけるか。

なんだか、とても大切なことのように思えます。

夢であれ、目標であれ、その想いをたとえ細い光であっても、持ち続けることが出来たら良いですね。その想いは必ず未来に届いていると思うのです。

きっと自分にとって、最良のときに、天が、お月様が、叶えてくれることでしょう。

あなたの夢が叶いますように~☆

お月さまにいる片岡慎介さん、ウサギのロップ君、ありがとう

2013年1月 1日 (火)

明けましておめでとうございます

Photo_4新年明けましておめでとうございます

穏やかな良いお正月をお迎えのことと存じます

平和で実り多き一年でありますように

皆様のご健康とヘビー級なご幸福を心からお祈り申し上げます

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

昨年は私にとっても例年以上に変化の多い年でした。

ホピの予言もなんのその。

安寧に新しい年を迎えられて幸せです。

ロップも天国で見守ってくれているので幸せです。

今年も泣いたり喜んだりしながら、ちゃんと生きていきたい。

たくさん笑って過ごせたらいいなと思います。

悲しいことがあっても、その中に愛や美しさを見出せたらいいなと思います。

出会った人と温かい愛の光を送りあえたらステキですね。

心からのありがとうの言葉をたくさん言えますように。

世界中が平和でありますように

Photo_3訪ねて下さったあなたに

いつもありがとうございます。うれしいです。

降り注ぐ星の光のようにたくさんの幸せがあなたに訪れますように

May peace prevail on earth

2012年11月28日 (水)

みずがき山とUFO?

ちょうど一ヶ月前、山梨県のみずがき山自然公園に行きました。

Photo みずがき山は日本百名山の一つにも選ばれ、弘法大師が修行した山としても知られています。

のこぎりの刃のようなギザギザした山並みが特徴の風光明媚な山岳で、友人の話によると水晶の山だとか。

このみずがき山の麓にある「みずがき山自然公園」は広々として、とても気持ちの良い場所でした。

ここで世界192カ国の国旗を掲げ平和を祈るWPPC(ワールドピースプレイヤーセレモニー)が開催されたので参加してきました。

みずがき山の見事な紅葉写真を撮りに来ている方たちも多く、声をかけたら一緒に参加して下さってハートフルなひとときでした。

行事終了後、みんなでお弁当を広げピクニックみたいで楽しかったなぁ。

レクレーションは縄跳び!

大きな輪の中に5人入って5回連続で飛べたらクリア。

「ひとり一回は飛ぼう」と言われ、足が痛いのも忘れて飛びましたよ(笑)。

でも2回飛んだら尻餅をついちゃってアウト!あ~残念!

大縄跳びをしたのなんて何十年ぶりだろうなぁ。

縄跳びでいい大人たちが大笑いしている姿がなんとも無邪気でいい。

引き上げるときに空を写したら、こんな写真が撮れていました。

Photo_2 レンズの反射かな。もしかしてUFO?

なんでもいいね。こんなきれいな光が写ったんだもの。

楽しかったなぁ。私の秋の素敵な一日でした。

2012年11月12日 (月)

ロップが天に還りました

昨晩、わが家の大事な家族、やんちゃウサギのロップが天に還りました。

(ウサギだから月へ還る、かなぁ)

眠るように安らかに旅立ちました。

ロップを愛してくださった皆さん、ありがとうございました。

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5歳6ヶ月。

4年半病気とつきあいながら生きてきました。

お世話になった院長先生からも、死ぬ2日前の診察で「治らない病気ばかりたくさん抱えて生きてきたね。治してあげられなくてごめんね。ロップ、よく頑張ったね。」と……。

ウサギ専門の院長先生にはロップの余命が分かっていたのですね。

夏から体調は良くなかったのですが、今月に入り容態が悪化。

どんどん体重が落ちていき、食欲も低下。

最後の3日間はモルヒネを投与したので痛みからは解放されて、

ようやく体を伸ばして寝ることができていました。

赤ちゃんと同じように抱いてシリンダーで流動食を与えていたのですが、

その餌も食べなくなりました。

寝ている顔の前に「お水をどうぞ」と言って置くと、たくさん飲んでいました。

ただ、死ぬ4時間くらい前からは水も飲まなくなり、体から魂が離れているような感じでした。

天に還る準備を始めたのでしょう。生きる気力がないのです……。

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夜11時半。

隣の部屋で主人とお互いに携帯で取ったロップの写真を見せ合っていた5~10分の間に息絶えていました。

私たちがそばにいたら、呼び止めるような言葉をかけていたことでしょう。

上手に天国に旅立ったねぇ、ロップ君。

親のそばへ引越しをして半年。

親の介護にロップの介護も加わり、かなり疲れてはいましたが、それでもロップに癒されていました。

動物は無条件の愛を与えてくれますね。

そして私たちも無条件で小さな命を愛する心を持てて本当に幸せです。

ロップは小さい頃から、恩師・エディさんから毎月1回、たくさん癒しの光を入れていただいていました。

よくアゴをさすってくださり、私は「ネコじゃないんだけどなぁ。ウサギは頭をなでられるのが好きなんですよ」と笑って言っていたのですが、エディさんにはロップの発症前の病気が分かっていたのですね。

死ぬ1週間くらい前から、調子が良いとエディさんの遺影まで行って、写真の前で寝たり顔をすり寄せたりしていました。

きっと死んだ時はエディさんが迎えに来てくれたのではないかなと思います。

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ロップには「ありがとうとゴメンネ」の気持ちでいっぱいです。

明日は火葬に送り出します。

さきほど友人が、「動物さんは飼い主の笑顔が好きだから、笑顔でバイバイしてね」と教えてくれました。

だから悲しいけど笑顔でバイバイしたいと思います。

可愛がってくれた友人やブログでロップを書いたブログを楽しみにしてくださった皆さん、本当にありがとうございました。

法友のみんな、祈ってくれてありがとう。

毎週、気功治療をしてくださった玉城さん、ありがとうございました。

貴重なお水や酵母を分けてくれたロクちゃんと島さん、ありがとうございました。

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充隆さん、夜勤明けで疲れて眠いのに、ロップを病院へ連れて行ってくれてありがとう。

ロップ、君と過ごした5年3ヶ月は本当に楽しい生活だったよ。

いつの日か天で会おうね。ありがとう。またね。

久し振りのブログなのに悲しいニュースでゴメンなさい。

また元気で楽しい出来事を書きますね。

2012年6月 5日 (火)

すべては上手くいっている

Photo 私の師匠、エディさんがご移行されて今日で1ヶ月が経った。

天に還ったというと距離感があるが、すぐそばの別の次元で地球のために働いていると思うと、やはり移行という言葉が合うのかなと思う。

5月5日の朝に亡くなられたのだが、

その日は雲ひとつない青空で新緑が今までにないくらいに輝き、

「この世はこんなにも美しいのだな」なんて、思わず立ち止まって家々の生垣に見とれていた。

その直後に連絡をもらい、いつかこの日が来ると覚悟はしていたものの、胸にポッカリ大きな穴が空いた様な気がした。

久し振りに慟哭した。

不出来な私を25年間も面倒を見てくださった。何度救ってもらったことだろう。

言葉では表せないほどの愛と恩義がある。

夜には大きな満月が昇り、煌々と地上を照らしていた。

この1ヶ月の間に2回の大きなピースイベントがあったのだが、

2回とも大きな日輪が出て、しかも日輪の周りには虹が輝いていた。

大成功のサインを見せてくれたのかなと思う。

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母も肺炎が治り退院し、認知症の薬を飲み始めた。

母も自分の人生プログラムを歩んでいるのだ。

「どうしてこんなことに」とかは、余計な想い。

かつて親友みどりちゃんの死で学んだことは、本人と神様との約束。

生き死には神様の御手にあること。

そしてどんな悲惨な状態にあろうとも、たとえ昏睡状態であろうとも、この世での塵芥(ちりあくた)を出来る限り落として、身軽になって飛び立とうとしている尊い姿なのだと。

母も同じなのだ。ただ父の気持ちを思うと切なくなる。

新宿髙島屋の今田美奈子先生の「サロン・ド・テ・ミュゼ イマダミナコ」で、私のコミュニケーション講座『心癒す言葉レッスン~上手なコミュニケーションのコツ』も始まった。

「こういう内容の講座を求めていたんです!」と駆け込むように受講を希望される声を聴くと、やはりご縁の出会いなのだなと思う。

エディさんから以前、「あなたの仕事はぐるぐる集会を巡ることではなく、外の人と会って光を渡すことだ」と言われていた。

本当にそのように道が繋がっている。

ただちゃんとご恩返しも出来ていなくて心が痛む。

今月に入り、頑張っていた気持ちが少し緩んできたようで、体に力が入らない感じがする。多分、もう少ししたら気持ちの整理もつくのかなと思う。

昨日はサックス奏者の苫米地義久さんことTOMAさんのライブのお手伝いをした。

口下手な(とご本人がおっしゃる)TOMAさんのトークサポートをして楽しいひとときだった。

光の粒子のような音色にお客様も大満足だった。

Tomaballads2120 TOMAさんも辛いとき、「すべてはうまくいっている」と言う。

2度目のガンは骨に転移していた。直腸ガンの定期健診のお蔭で見つかったそうだ。

「ガンのおかげで命が救われたよ」と笑って言う。

キャリアと実力を兼ね備えた音楽家が、「目の前の人を笑顔にしたいから」と、あえてストリートで演奏する。

だから時々、TOMAさんの姿が虚無僧に見えるのかしらん。

お客様の中に「これからお通夜に行くんです。25歳でまだ若いのに。看護師として頑張っていたのにガンで……。TOMAさんのお話とサックスが聴けて良かった。御供養になると思います」と言ってCDを購入してくださった。

こういうご縁があるのだなと胸が熱くなる。

救いの手はあるのだな。すべては上手くいっているのだな。

心痛むことや困難なことも多い人生だが、それでも、すべては上手くいっているのだ。

この1ヵ月半は忙しかったりぼんやりしたりで、多くの方に心配とご迷惑をおかけした。

温かく見守っていただいた。

ブログも書かないでゴメンなさい。

本当に私は果報者です。どうもありがとう。

May Peace Prevail on Earth

2012年2月22日 (水)

死に想う~いつかのいい日のために

今日は新月です。

そして2がみっつ並んで猫の日なんだそうです。ニャンニャンニャン~

今回は久し振りに「エッセイ~ピュアハート」として書いてみました。

Photo 前回のブログで、朗読集会で私が読んだ宮沢賢治の「眼にていう」を載せました。

この詩は山元加津子著「本当のことだから~“いつかのいい日のため”の宇宙の秘密」(三五館)に記載されていたものです。

この詩についてかっこちゃんは、このように書いています。

『宇宙の中で、ひとつの命が与えられるということは、本当に奇跡のようなことですね。

与えられた時期に、与えられたそれぞれの場所で、たくさんの人や、ものや、ことと出会って、かかわりあって、そしていつか死さえも与えられて、死んでいく……。

そのとき、私はもしかしたら、また宇宙へ帰ることができるのかもしれません。

宇宙がいつも前向きで、いつかのいい日のためにたゆまぬ命を送り続けていることを考えたとき、宇宙というものは驚くほどのあふれる愛でいっぱいのもので、私はその宇宙に抱かれるのかもしれないし、宇宙にとけることができるのかもしれません。

そう考えると、与えられる死というものは、恐れる必要がなく、その日がくるのが、むしろ少し楽しみのような気さえしてきます。』

かっこちゃんは養護学校の先生で、身体が不自由な生徒さんが発する叡智あふれる言葉と愛に触れ、「是非、このような素晴らしい子供たちがいることを知ってほしい」と講演活動や本を書いている方です。

そして多くの美しい魂の子どもたちの、この世での命の最期に立ち会っています。

入江富美子監督作品「1/4の奇跡~本当にことだから」をご覧になられた方も多いことでしょう。(私も入江監督にインタビューをさせていただき、雑誌に掲載しました)

命を与えられるということ。死をも与えられる、ということ。

死もある意味では恩寵なのでしょう。

肉体の命は寿命があり、魂は永遠の命だと、私たちは深い深い所で本当は識っている……。

宮沢賢治の「眼にていう」のように、眼に映るものすべてが美しく、しかも畳の上で死ねたらどんなに良いでしょう。

病院のベッドや外出先でもなく、自分の家で、出来れば愛する人に見守られて逝けたら……。

それでも私は思うのです。

たとえ、いきなり“明日”を断ち切られてしまうような不本意な死であっても、必ず光の中へ還っていけると。

大災害のように最後に目に映った光景がたとえ恐ろしいものであっても、必ず必ず魂の救済はあるのだと。

この世は、本当はとても美しいと心から感じることができたら、どんなに良いでしょう。

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もしかしたら最終的にこのような心境になることを目指して、私たちは人生という旅をしているのかもしれません。

そして大いなる宇宙の一滴から生まれた私たちの魂は、すべて完璧なる宇宙のエッセンスで、愛で、満たされているのではないかしら……。

かっこちゃんの言う「いつかのためのいい日」とは、どのようなものでしょう。

私もじっくりと感じ取ってみたいなと思いました。

2011年10月19日 (水)

学びの秋 カルチャーはいかが

冷え込んだり、暑さが戻ったり。季節の変わり目ですね。

風邪など引いていらっしゃいませんか。

秋はハイスピードで時間が過ぎていく様な気がしますね。

日が暮れるのが早くなったのもありますが、イベントや楽しいお誘いなども多く、

あっという間にスケジュールが埋まっていきます。

一昨日は朝から田端にある「さいとうラビットクリニック」に行って、

ロップ君のお薬を頂いて新宿へ移動。

髙島屋で開催されていた今田美奈子先生の「バラと天使とお菓子の物語~華麗なる王妃の食卓芸術展」へ滑り込み。大盛況でしたよ!

ラブリーで高貴な世界をたっぷり満喫しました。

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思いがけず、「月のテンポ116」の音楽家・片岡慎介さんのお姉様とバッタリお会いし、

「あっら~!はるかちゃん!待ち合わせもしてないのに会えちゃったわぁ」と、

美奈子先生と一緒にスリーショット。

お茶をする間もなく「またね~」と手を振り振り、青山の「たまサロン」へ伺って打ち合わせ。お昼は立ちそばを美味しくいただきました(笑)。

さて、事前告知をする間もなく、なんと本日から

「ことばレッスン~上手なコミュニケーション」

10月期のスタートです♪

10月から会場が変更になりました。

青山の「たまサロン」にて、リラックスムード満点・癒しの空間で奇跡のハーブティを飲みながらのレッスンになります。

ワンレッスン受講もOKですので、是非、ご参加下さい♪

また途中からの受講も受け付けていますので、お気軽にお問い合わせ下さい。

詳細を武田はるか公式サイト「TOPページ」にUPしましたので、ご覧になってくださいね。

http:///www.takedaharuka.jp

10月期第1回目の今日は、

「自己紹介から学ぶ~話の聴き方、伝え方、自己開示の大切さ」。

コミュニケーションの極意は、聞き上手であること。

何を話すかよりも、どう聞くかが大切。

自己紹介のときの聞き方があなたの印象を大きく左右するのです。

喋っている時じゃないんですよ。覚えておいてくださいね。

自己マトリクスも使い、「え~っ、私ってこんなに多方面なキーワードがあったんだ!」と驚かれることでしょう。

もうひとつ。

「やってみようかな~」と思ったら、急に動き出して決まっちゃったレクチャーです。

「武田はるかカルチャーレッスン こころのケア 傾聴~相談を受けたとき」の公開講座。

傾聴のやり方についてお話しをさせて頂くことにしました。

1026()午後130分より、たまサロンにて開催。

わぁ~、1週間後ですぅ!

傾聴は、大震災による心のケアや悩み相談などに大変、役立ちます。

誰かの心の支えになりたいと思う気持ちが深くなった今年。

人の心に寄り添い、心の声に耳を傾け、自分の中に答えがあることをサポートする傾聴。

このことをお伝えすることで、私もお役に立てたらいいなと思います。

参加ご希望の方は当日、直接、会場にお越し下さい。予約の必要はありません。

詳細は私のサイトのTOPページをご覧になってくださいね。

http:///www.takedaharuka.jp

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あ、朗読教室も毎月開催中です。

前回から音楽に合わせて朗読した作品を録音しています。

皆さんから「スタジオにいるみたい~」と好評です。面白いですよ。

芸術の秋、食欲の秋、行楽の秋、読書の秋、八代亜紀…?

カルチャーの秋です。「興味ないな~」と思っても、ダマされたと思って一度、参加してみませんか。

知らなかった世界は意外と目からウロコで、深イイものです。なんちゃって

どうぞよろしくお願いします。

2011年4月18日 (月)

No51.東日本大震災~助かった命なのだから

Photo_3 東日本大震災から一ヵ月半が経とうとしています。未だ大きな余震が続き、フクシマ原発はレベル7に引き上げられ、収束には九ヶ月かかるとの発表もされました。
「復興へ向けて加速したい。でも先行きの見えない日々の中、希望を持つのが難しい」と大人たちがつぶやきます。子供たちは懸命にお手伝いをし、日中は明るく元気に過ごしていますが、夜になると暗闇の中で嗚咽しているそうです……。
小さな子が「僕が悪い子だったから地震があったんだ」「私が生き残って、妹が死んでしまった。私も津波で死ねばよかった」と自分を責める子供たちがいるそうです。なんと痛ましいことか。言葉もありません。
私の祖母は二十歳のとき、関東大震災を体験しています。そのため私は子供の頃から大地震や戦争の話を聞いて育ちました。今回は祖母の体験談で私が気づいたことをお話させていただきますね。

*祖母が体験した関東大震災
大正12年(1923年)9月1日11時58分、神奈川県相模湾北西沖を震源として発生したマグニチュード7.9の大地震。これが関東大震災です。
明治生まれの私の祖母は当時、下町のあるお宅へ奉公に出ていました。この日、奉公先の言いつけでお使いに出るために2階の部屋で着物を着替えていたら、そこへ下から突き上げるような大きな揺れがあり、逃げる間もなく木造の家はつぶれ、祖母は2階から外へ転がり落ちた。
ちょうどお昼時なので、あちこちから火の手が上がり、着の身着のまま逃げたそうです。
広大な敷地の陸軍被服廠(現在の東京都墨田区の横網公園)へ向かって逃げていたら、「あそこへ行っちゃいけない」と見知らぬ男の人から言われ、急いで方向転換し、人波に逆らうように隅田川を目指しました。
あのとき被服廠へ逃げていたら、人はおろか荷物や馬車までも巻き上げ、炎の中に飲み込んでいった巨大な火災旋風の犠牲になっていたでしょう。
ここへ避難した人だけで3万8千人が犠牲になったといいます。
隅田川へ逃げた祖母は幸運にも川に停泊していた荷船に乗せてもらうことが出来ました。このとき隅田川は両岸から火に煽られ、多くの人が川へ飛び込んだそうです。
周囲にはたくさんの荷船がいて多くの人が乗っていました。
隅田川の両岸から船に降り注ぐ火の粉を消すため、一晩中、乗り合っていた人達と川の水を船に掛け続けていたそうです。
朝になって周囲を見回してみたら、あんなにたくさんあった荷船が全部焼け落ちて、祖母の乗っていた荷船だけが延焼を免れて無事だった。隅田川は見渡す限り、亡くなった人で埋め尽くされていたそうです……。
だから祖母は生前「地震は火事が一番怖い」と言っていたのでしょう。
阪神淡路大震災でも火事で亡くなられた方が多かったのは記憶に新しいですね。
さて、船に乗って助かった祖母はかなりの強運の持ち主だったようです。というのもその船は祖母の実家の茨城県猿島郡の近くまで行く船だったのです。しかも摘んでいた荷はお米。船旅よろしく食べるものにも事欠かず、無事に実家に帰れたのだそうです。
二十歳だった祖母がたった一人で逃げ回り、いくつもの幸運に恵まれて、私に命のバトンを渡してくれたのです。

*命は受け継がれていく
この話を繰り返し聞いて育った私は地震が大嫌い(苦笑)。祖母の言いつけを守り、寝るときはベッドの足元に靴下とカーディガンなどを置いています。揺れたらまず火を消して、逃げ道である玄関や窓を開けるなどします。
関東大震災よりはるかに巨大なマグニチュードだった東日本大震災。火ではなく水での犠牲者が圧倒的に多かった……。
幼稚園の園児たちが「地震ごっこ」という遊びをするそうです。救急車や消防車のサイレンを聞くと、「地震です、逃げてください!津波が来ます、逃げてください!」と滑り台の上に登って大きな声で言うそうです。
幼子たちの心にこの大災害が刻まれているのですね。

自分が生き残ったことに罪悪感を抱いている子供、自分が津波に流されればよかったという子供……。大人ももちろんですが、子供たちの心のケアが急務です。
私は思うのです。祖母が奇跡的に関東大震災を生き延びてくれたから、私がいると。
時の流れの中で命が受け継がれ、やがて父となり母となり、祖父となり祖母となる。
「あなたの命が受け継がれ、いつの日か生まれてくる子供がいるんだよ」と言ってあげたい。「あなたは生きていていいいんだよ。そのままでいいんだよ」と。
夜になると暗闇の中で嗚咽している子供を充分泣かせてあげて、心の内を吐き出させてあげたい。孤児となった子供を抱きしめてあげたい。
人のぬくもり、温かい言葉、聴いてあげる耳。これらがどれだけ大切なことか。

思いやること、分かち合うこと、助け合うことを身をもって知った子供たちは、子供らしい時間の季節を早めに卒業し、大人の心が同居し始めていることでしょう。
強く優しい若者になっていくでしょう。このような子供たちがいるから、日本の未来は大丈夫だなと思います。

衣食がまだ足りないながらも何とか行き渡り、具体的な生活のめどと心のケアが必要な時が来ました。
私も傾聴や読み聞かせで動き始めます。ご希望がありましたら、是非、ご連絡下さい。すぐにお伺いします。手を取り合って、ラブ&シェアしていきましょう。必ず良くなる、絶対大丈夫!

2011年4月 5日 (火)

No50.大震災の当日、帰宅難民となったSさんからのメール

Photo_2 3月11日当日、東京及び近県では電車がすべて止まり、帰宅の足が途絶えました。
会社に泊まれない人は歩いて帰宅するという難行をされました。
私のところへも「泊めてもらえますか?」「泊まる所が見つかりました」など、また多くの方から、「10キロ歩いて帰宅した」「夜遅かったけど、甲州街道を多くの人が歩いていたから怖くなかった」など、無事を知らせるメールをたくさんいただきました。
今回は友人のSさんからいただいたメールを元に、「こんなときだから」について、ご一緒に考えてみたいと思います。

*帰宅難民となったSさんからのメール
私と同年代の友人Sさんから頂いたメールをご紹介します。
『はるかさん、ありがとうございました。地震大丈夫でしたか? 私達は猫共々皆無事です。
あの日は会社から4時間半かけて歩いて帰りました。
大地に感謝を捧げながら歩かせて頂き、そのことにまた感謝でした。
途中、「トイレどうぞ」と書いて貸して下さる教会や、温かいお茶をいれて出してくれる所、大通りの角の喫茶店の窓に、「○○方面の行き方は…」と手書きで3方向の地図を書いて貼ってあったり、最後にうちの近所の無国籍料理のお店の子に無事の報告をしたら、「今夜は朝まで開けておくので、怖かったらいつでも来て下さい」って、みんなに言ってくれたり……。
歩いている人々は粛々と受け止めて黙々と歩いていましたし、出会う人みんな即、出来ることをしていました。送って頂いたYouTubeの通りです! 日本はすごい!
世界人類が平和でありますように  必ず良くなる! 無限なる感謝を込めて』(一部省略)
*送って頂いたYouTubeとは、「東日本大震災~あなたたちは一人じゃない」

http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc

Sさんは暗い道をひとりで頭の中にある地図を頼りに、パニックになりそうな心を抑えながら歩き続けたそうです。そのときの様子を先日、「2時間も歩くと気持ちも足も疲れ、そんなときにお茶やトイレ、地図を目にして勇気を貰って歩き続けられた。人の温かさに励まされた」と言っていました。
辛く苦しい面を見れば愚痴ばかり出たことでしょう。心細さに不安に押しつぶされたかもしれません。
でも彼女は自分に「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせ、明るいこと、美しいこと、温かいことに意識を向け、その通りのことを引き寄せて歩いて帰宅していったのでした。
このように思うのは今回が特別ではなく、人の悪口などは絶対に言わない彼女らしい話でした。
「大地に感謝を捧げながら歩かせて頂き」というのも、もちろん大地震を引き起こした事への感謝ではなく、純粋に「大地の神様への感謝」ですね。
そしてSさんは大地に感謝しながら、「大地の神様、どうぞ怒りをお静め下さい。ひとりでも多くの命が助かりますように」と祈っていたことでしょう。

*原発さん、今までありがとう
海に、大地に、山に、空気に火に水に、すべての自然界の恩恵により、この地球の上で生かされている私たちです。大自然の力に人間は太刀打ちできません。小知才覚を持って自然をコントロールなど出来ないのです。
唯一、その土地の先人の智恵を守り、受け伝えていくことが身を守る術になるのでしょう。
誤解を恐れずに言うならば、原発は人災なのではと思います。自然界には無いエネルギーを作り出し、壊れたときに制御できない物を作ってしまった……。
はるか未来の人が記述したならば、「かつての人類は核を用いた装置の力で、日々の恩恵を受けていた。それが壊れたとき、人類はなす術がなかった……。以来、人類は新しいエネルギーを~」と書かれるかもしれません。
これまで潤沢に電気が使えてどれだけ助かったことでしょう。誰もが「一刻も早く電気が被災地で使えるようになって欲しい。福島原発の放射能を早く遮断して、まず地域住民の皆様が安心できるように、世界中が安心できるようにしていただきたい」と願い、何より作業員の方のご無事とお働きに感謝しています。
そして今まで私たちの生活を支えてくれた原発に感謝をして、その役割が終えたことにも祈りを捧げたい。そう思うばかりです。

こんな時だからこそ、みんながひとつになり、力を合わせて日本を再生していこうと声が上がっているのが何より嬉しいです。
プロ野球もセ・パ両リーグが足並みをそろえました。
プロゴルファーの石川遼選手は今季の賞金をすべて寄付するそうです。これからの1年間、気持ちを寄り添わせて1試合ずつ復興への祈りをこめて試合に臨むそうです。
ソフトバンクの孫社長は個人で100億円寄付し、さらに今期から引退するまでの報酬を寄付していくとか。金額の大きさもすごいですが、被災者へ気持ちを添わせての行動はさすがですね。
「こんな時だからこそ」、政治も政党を超えて力を合わせて、特に弱い立場の人々を救援し、この非常事態に取り組んでいただきたいと多く方が思っていることでしょう。
「たくさん寄付も出来ないし、専門職もない、肉体的にもあまり強くなくて現地にも行けない…自分は何が出来るのだろう」と無力感を持たずに、被災者の方へ心を添わせ、祈り、ネガティブな発言を控えて、今できることを心を込めてやっていけば良いのではないかなと思います。
どれも人として当たり前のことばかりですね。私もあらためて当たり前のことの大切さをかみ締めています。

この先、私たちは太陽とともに生活し、夜の静けさと星月夜を仰ぎ、四季を大切にして、少々の不便を我慢して、シンプルな生活にシフトしていくのかもしれません。
“分かち合えば、足りるのだ”ということを知っていくのかもしれません。
そして自然の摂理に沿った新しいエネルギーのあり方を真摯に考えて、実現させていくことでしょう。
すべては良くなるために。ひとつになって新しい日本を作っていくために。

*このエッセイは、Sさんのご了解を頂いて書かせていただきました。ありがとうございました。


2011年4月 4日 (月)

No49.大震災~被災地に親友がいるCさんからのメール

Photo 災地の皆様、すべての皆様、お元気ですか。東京は桜が3分咲きになり、柔らかい青色の空が広がっています。
まるで大地震などなかったような春景色です。あの日の翌々日からピースメッセージを書いてきましたが、今回はエッセイ「ピュアハート」として、これまで頂いたメールをご紹介しながら、ご一緒にこんな時だからこそ自分の出来ることや人の温かさについて考えてみたいと思います。今回はCさんからのメールです。

*自分に何が出来るのか
大地震、大津波、原発……。悪夢のような日から24日が経ちました。一人でも多くの人の命が救われますようにと祈り、亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災者の皆様の平安を祈る日々でした。
原発の中に命の危険を覚悟で入っている作業員の皆様の安全を祈り、被災者でありながら救援に従事している方々、ボランティアの方々へ感謝の想いがあふれます。
そんな中、道路規制が解除されたとはいえ、「ボランティの経験もなく、専門職でもなく、自分は節電と募金しか出来ない」との声をたくさん聴きました。
実は私も声を寄せてくださった皆さんと同じなのです。今、現地に行ってもご迷惑になるだけ。泊まる所も食事も交通手段も自分で確保するには無理があり、力仕事が出来る訳ではない……。
初対面の人間が話し相手になったり、本を読んだり、子供たちを抱きしめたりは、安全な住まいが確保されてから出来ることなのではないかと。
今は義援金、救援物資、医療、ライフラインの復旧、正しい情報などが一番に求められている時期です。「私に何が出来るのだろう……」。正直、無力感を感じたことも事実です。
グルグルと思考がめぐりましたが、「やはり、目の前のことを、心を込めてすること」に戻ります。それは祈り、節電し、募金をし、といった側面からの基本的な支援であり、日々、心を寄り添わせることでした。

*被災地に親友がいるCさんからのメール
たくさんの友人知人からメールをいただきました。その中から、まず、大地震発生10日後くらいに頂いたCさんからのメールをご紹介します。
Cさんは20代後半で超美人、頭の良い気持ちの優しいお嬢さんです。

『おはようございます。はるか先生、皆様、心温まるメールをありがとうございました。
今回の地震で人間って…っていうことに深く考えさせられました。
私の親友やたくさんの同級生、知人は、避難したり、流されたり、家を失ったりと大変な思いをしています。
それでも誰ひとり『どうしよう』ではなく、『頑張らないとな』という前向きな言葉のメールが届きます。
私の東京の友達は『被爆しては大変』と日本を脱出した人が多くて、海外からのメールには、『こっちは節電も考えなくていいし、のんびりしています。アウトレットに行こうかな』などとお気楽メールが届きます。中には大使館命令で避難した外国人達もいますが…。
悪いとは言わないけど、何か胸が苦しくなりました。
それなのに、ドライヤーを使ったり、NEWSをつけっぱなしにしている自分に気付き、へこみました……。
考えさせられることがいっぱいです。
被災者の方達が1日でも、1秒でも早く、普通の暮らしが出来ることを祈っています』

このメールの1行1行に、共感される方が多いことでしょう。もちろん、海外脱出された方を責めるわけではありません。その気持ちも分かります、少し陽気な事も言わないと良心の痛みに負けてしまいそうだということも含めて。
大切な親友たちの所へすぐに行けないもどかしさ、連絡が取れない友人達を心配し、自分は何が出来るのだろうと唇を噛み、被災者の皆さんの安全な生活を祈るCさんの姿が目に浮かぶようです。
その後、Cさんからは、「友達はほぼ無事だったのですが、身体が不自由な友達が残念な結果になってしまいました。友達が消防団の遺体回収時に見つけたと連絡がきました。残念です……」と連絡をいただきました。
彼女の気持ちを思うと言葉もありません。ただただ亡くなられたご友人のご冥福を祈るばかりです。
そして自分の日常の小さな行動を見直しているCさんに頭が下がる想いです。

この大災害で、大切なことの優先順位や価値観が大きく変わりました。生きることへの底力や助けあう心、ひとつになろうとする気持ち。なにより命の大切さ。
被災していない者は、自分は何が出来るのだろうと真摯に考えました。こうして気持ちと向かい合うことで善なる方へ、良い方へと変化が起こってくるのでしょう。
私の茨城に住む友人達も被災し、大きな余震に震えながらも「こちらはみんな大丈夫」と気丈に言い、「3、11から生活が大きく変わりました。書くと長くなりますが、東北の方は想像が出来ないくらい変わっていると思います。でもすべて良くなる!大丈夫!」と祈り、がんばっています。さらに、「メールを読んで、ひとりじゃないって思えて嬉しかった。ありがとう」とお礼まで……。
自分が大変なときに人を気遣うことが出来るのは本当にすごいことだと思いました。

次回、「No.50ピースメッセージ~いただいたメールより。その2」に続きます。

*このエッセイはCさんのご了解を得て書かせていただきました。ありがとうございました。





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