癒し

2012年6月 5日 (火)

すべては上手くいっている

Photo 私の師匠、エディさんがご移行されて今日で1ヶ月が経った。

天に還ったというと距離感があるが、すぐそばの別の次元で地球のために働いていると思うと、やはり移行という言葉が合うのかなと思う。

5月5日の朝に亡くなられたのだが、

その日は雲ひとつない青空で新緑が今までにないくらいに輝き、

「この世はこんなにも美しいのだな」なんて、思わず立ち止まって家々の生垣に見とれていた。

その直後に連絡をもらい、いつかこの日が来ると覚悟はしていたものの、胸にポッカリ大きな穴が空いた様な気がした。

久し振りに慟哭した。

不出来な私を25年間も面倒を見てくださった。何度救ってもらったことだろう。

言葉では表せないほどの愛と恩義がある。

夜には大きな満月が昇り、煌々と地上を照らしていた。

この1ヶ月の間に2回の大きなピースイベントがあったのだが、

2回とも大きな日輪が出て、しかも日輪の周りには虹が輝いていた。

大成功のサインを見せてくれたのかなと思う。

Photo_4

母も肺炎が治り退院し、認知症の薬を飲み始めた。

母も自分の人生プログラムを歩んでいるのだ。

「どうしてこんなことに」とかは、余計な想い。

かつて親友みどりちゃんの死で学んだことは、本人と神様との約束。

生き死には神様の御手にあること。

そしてどんな悲惨な状態にあろうとも、たとえ昏睡状態であろうとも、この世での塵芥(ちりあくた)を出来る限り落として、身軽になって飛び立とうとしている尊い姿なのだと。

母も同じなのだ。ただ父の気持ちを思うと切なくなる。

新宿髙島屋の今田美奈子先生の「サロン・ド・テ・ミュゼ イマダミナコ」で、私のコミュニケーション講座『心癒す言葉レッスン~上手なコミュニケーションのコツ』も始まった。

「こういう内容の講座を求めていたんです!」と駆け込むように受講を希望される声を聴くと、やはりご縁の出会いなのだなと思う。

エディさんから以前、「あなたの仕事はぐるぐる集会を巡ることではなく、外の人と会って光を渡すことだ」と言われていた。

本当にそのように道が繋がっている。

ただちゃんとご恩返しも出来ていなくて心が痛む。

今月に入り、頑張っていた気持ちが少し緩んできたようで、体に力が入らない感じがする。多分、もう少ししたら気持ちの整理もつくのかなと思う。

昨日はサックス奏者の苫米地義久さんことTOMAさんのライブのお手伝いをした。

口下手な(とご本人がおっしゃる)TOMAさんのトークサポートをして楽しいひとときだった。

光の粒子のような音色にお客様も大満足だった。

Tomaballads2120 TOMAさんも辛いとき、「すべてはうまくいっている」と言う。

2度目のガンは骨に転移していた。直腸ガンの定期健診のお蔭で見つかったそうだ。

「ガンのおかげで命が救われたよ」と笑って言う。

キャリアと実力を兼ね備えた音楽家が、「目の前の人を笑顔にしたいから」と、あえてストリートで演奏する。

だから時々、TOMAさんの姿が虚無僧に見えるのかしらん。

お客様の中に「これからお通夜に行くんです。25歳でまだ若いのに。看護師として頑張っていたのにガンで……。TOMAさんのお話とサックスが聴けて良かった。御供養になると思います」と言ってCDを購入してくださった。

こういうご縁があるのだなと胸が熱くなる。

救いの手はあるのだな。すべては上手くいっているのだな。

心痛むことや困難なことも多い人生だが、それでも、すべては上手くいっているのだ。

この1ヵ月半は忙しかったりぼんやりしたりで、多くの方に心配とご迷惑をおかけした。

温かく見守っていただいた。

ブログも書かないでゴメンなさい。

本当に私は果報者です。どうもありがとう。

May Peace Prevail on Earth

2011年10月23日 (日)

物思う秋 なるほど~

Photo

一昨日は富士聖地に行ってきました。

富士の麓は紅葉が進んでいて、本当にきれいでしたよ。

秋を満喫してきました。

さて、最近、「なるほどなぁ」と思うことがありましたので、シェアさせていただきますね。

ひとつは、先日、テレビのニュースで被災地へカラオケのステージセットを持っていかれた男性を紹介していました。

ステージになる大型トラックでカラオケ大会を開催されたのです。

あらゆる世代が参加して、演歌やアニメソング、KARAAKB48など、

体中のエネルギーをほとばしらせて熱唱していたのでした。

みんな本当に楽しそうで、歌うごとにストレスが抜けていくのが分かるようでしたね。

カラオケステージを持っていかれた男性は、「被災者の皆さんに元気になってもらいたくて」とおっしゃり、参加者の笑顔に喜んでいらっしゃいました。

このカラオケ大会のように、被災地の方々を「自分が主役」とすることで、感情を発散していただくのは本当に素晴らしく、「なるほど!これはいい!」と思いました。

私もステージに立つ人間なので、つい、ステージで皆さんが元気になるようなことをしたいと考えてしまいます。

被災地でコンサートを開かれていたアーティストも沢山いますね。

音楽の力は人をなぐさめ、勇気づけてくれます。どれもみな愛だと思います。

ただ、今回のニュースを見て、「被災者の皆さん自身がスポットを浴びて、歌う側になること」をサポートするのは、すごく大事なことだなと思ったのです。

Photo_2 みんな歌うことが好きなんですよね。

カラオケBOXも津波で流され、娯楽設備が整うのはもう少し時間がかかるのでしょう。

こういう支援も大切だと思うので、アーティストの方もご自分のコンサートだけではなく、このような形でのサポートもしていただけたらいいですね。

あ、私もカラオケ大会の司会でお役に立ちたいな~。

思いのたけを歌に託し、人前で、マイクで、歌う。

あるいは、「瓦礫の中心で愛を叫ぶ」なんていうのもいいよね。

心の中に溜まっているものは出してあげた方が良いと思うのです。

みんなで歌って元気になろう!

もうひとつ。

手前味噌ですが、「ことばレッスン~上手なコミュニケーション」でのこと。

「辛いことや苦しいことは自分を成長させてくれる」と話していた時に、『かかとのお手入れに軽石を使うでしょ。ゆで卵じゃ角質は削れないよね。苦難もそれと同じようなもの』と言ったら、受講生の方が、「先生、それってすごく分かりやすい例えですね」と言っていました。

女性ならではの納得ですかね(笑)。

辛いことも自分を磨いて輝かせてくれるのだから、どんなことがあっても「あっ、軽石だ」と思えば、ちょっとは気が楽になるかしらん。

Photo_3 物思う秋。この秋、素敵なことにアンテナが反応して、「がってん・なるほど値」をあげたいなっと思うのであります。

*26日(水)開催 「こころのケア 傾聴~相談を受けるとき」に参加ご希望の方は、直接、会場にお越し下さい。

詳細はhttp://www.takedaharuka.jp

2011年6月19日 (日)

父の日に寄せて

Photo 今日は父の日ですね。そして昨日は大震災で犠牲になられた方々の

百か日法要でした。

いつもならば少し照れくさい笑顔を浮かべながら

「お父さん、ありがとう」と言っていた子どもたち。

嬉しそうにプレゼントを受け取るお父さん……。

今年はお父様を亡くされたご家族が多く、

胸の痛む父の日になりました。

悲しみと思い出の深さにお父様の姿を求め、天に届くほどの想いで

「ありがとう」と伝えられたことと思います。

お父様がご無事でいらっしゃった方は、ことさら感謝の想いを深められたことでしょう。

肉体としての姿がなくても、ありがとうの想いは光です。

その思いは必ず届き、降り注ぐ光のごとく、愛する家族を見守ってくれていると信じています。

祈りは光です。ただ愛のみ、感謝のみです。

私には二人の父がいます。ひとりはこの世に私を生み出してくれた父。

反面教師として悪役を務め、私の精神性を高める役割をしてくれました。

すでに天に召されています。

もうひとりの父は、私を娘にしてくれて愛し養育してくれました。

この父がいなかったら私は幼い頃に天に還っていたでしょう。

今年は欲しいと言っていた夏のカジュアルシャツをプレゼントしました。

どちらも大切な父です。

深きご縁によって結ばれた今生の家族に、ありがとうの想いが深くなります。

Photo_3 お父様を亡くされた方へ、私も心を込めて祈り、

天のお父様へ感謝を捧げさせていただきます。

来年の父の日には、笑顔をたくさん見せられるように、

みんなで一歩づつ歩んで行きましょう。

お父さん、ありがとう。

2011年3月31日 (木)

読売新聞「編集手帳」~名も知らぬ君へ

Photo_3 被災地の皆様、すべての皆様、お元気ですか。

私たちの命、生活すべてがひっくり返った3月が今日で終わります。

桜前線は水戸まで行ったようですね。福島はもう目の前、東北もあと少しで桜前線の到着です。日本中の応援の祈りが桜の花とともに、生きる力となり、希望となりますように。

今日の読売新聞の朝刊「編集手帳」の記事をご紹介します。

『生まれてまもない君に、いつか読んでほしい句がある。<寒き世に泪(なみだ)そなへて生まれ来し>(正木浩一)。君も「寒き世」の凍える夜に生まれた。列島におびただしい泪が流れた日である。◆震災の夜、宮城県石巻市の避難所でお母さんが産気づいた。被災者の女性たちが手を貸した。停電の暗闇で懐中電灯の明かりを頼りに、へその緒を裁縫用の糸でしばり、君を発泡スチロールの箱に入れて暖めたという◆男の子という以外、君のことは何も知らない。それでも、ふと思うときがある。僕たちは誕生日を同じくするきょうだいかも知れないと◆日本人の一人ひとりがあの地震を境に、いままでよりも他人の痛みに少し敏感で、少し涙もろくなった新しい人生を歩みだそうとしている。原発では深刻な危機がつづき、復興の光明はまだ見えないけれど、「寒き世」は「あたたかき世」になる。する。どちらが早く足を踏ん張って立ち上がるか、競争だろう◆原爆忌や終戦記念日のある8月と同じように、日本人にとって特別な月となった3月が、今日で終わる。名前も知らぬ君よ。たくましく、美しく、一緒に育とう。』

記者の方の渾身の一文に涙があふれました。

新しい命が被災地で誕生しています。希望を明日につないでいきましょう。

助かった命を大切にしていきましょう。

これから良くなる、絶対大丈夫!  

2009年12月22日 (火)

No25.たとえどのような姿に見えようと

今回はあえて誤解を恐れずに、死に逝く人が教えてくれたことをお話させていただこうと思います。
この「ピュアハート」で時折、登場する今は亡きソウルメイトであり親友のみどりちゃんが病院で意識が無いにも関わらず、私に気づかせてくれたことの数々……。
Photo_14 No.18「そのひと言が人生最後になるとしたら……」では、彼女が最期に残した言葉を軸に、人の心を痛めない言葉についてお話しました。
そこでは書き切れなかった“ふたりで交わした無言の会話”についてお話させていただきますね。
No.18と併せてお読みいただけると嬉しいです。

*戻っておいでよと呼びかけても……
1月下旬の底冷えのする寒い夜、ストレッチャーに乗り、「行ってくるね」とご主人に手を振ってER(救命救急)処置室に入って行ったみどりちゃんですが、処置室から出てきたときは……意識がありませんでした。
「どうしてこんなことに」と急いで駆けつけたときには、たくさんのチューブにつながれ、生命維持装置で命をこの世にとどめている状態でした。

病室に入った瞬間、私は思わず「えっ?」と声が出てしまいました。というのも、その部屋の波動がとてもきれいだったのです。哀しみや痛み、辛さ、恨みなどというものがまったく感じられず、すでに彼女の意識は肉体には居なく、意識を追っていったらいわゆる三途の川と呼ばれるところにいました。

温かな陽射しのなかで笑顔を浮かべ、グレーのタンクトップに柔らかなガーゼ素材のロングスカートをはき、しゃがんだ姿で小さな白い犬と一緒でした。すぐに「あぁ、あのわんこは先年死んだマリだな」と気がつきました。
私はみどりちゃんに「帰っておいでよ」と呼びかけましたが、微笑むだけで返事をしません。
何度か呼びかける内に「ずっと一緒だよ。いつもそばにいるよ」とメッセージが心に響きました。
こちらに帰って来る気がないのです。それは「戻りたくない」というより、もうこの世に未練がないという感じでした。

もちろんご主人はじめご家族や愛犬への強い愛はあるのですが、この世でやりたいことをやってしまっていて、この世に戻るよりはあの世で次のステップに進んだ方が良いと結論を出したように受け取れました。

*この状態に何の意味があるのか
ご主人には「ずっと一緒だよ。いつもそばにいるよ」という彼女からのメッセージだけを伝え、私は旅立とうとする最愛の友を見守り、彼女にとってのベストを祈るしかありませんでした。

彼女はあちらへ行きたい。家族やドクターはなんとか回復させたい。誰もがみどりちゃんが目を覚ましてくれるのを祈っています。
栗色のサラサラの髪は輝きを失せ、大きなアーモンド形の瞳は閉じたままです。
もともとスリムだった体がどんどん痩せ細り、骨と皮だけのような姿になっていきました。触れれば折れてしまいそうな姿を見るのが切なくて……。
この状態に何の意味があるのだろうと涙が流れました。

もちろん、私のこの思いは、延命措置医療を否定するものではありません。私も奇跡が起こることを祈っていたのです。
ただ、どうにも切なくて、誰かに胸の内を聞いてもらいたいと思ったところ、富士にいるMさんという方の顔が浮かびました。時折、迷ったときに相談するナイスミドルなおじ様です。私には何人か良いアドバイスをしてくださる方がいますが、このときはMさんの顔がバァ~ンと浮かんだのでした。

早速、お電話をして、「生き切れず、死に切れずのこの状態に何の意味があるのか」と切ない私の気持ちを話しました。
そうしたところMさんは、「今、その方はあちらへ行くために、この世のご自分とそして愛する縁者の方々の業を一生懸命、そぎ落としているのですよ。少しでも身軽になって上がれるようにしているのですよ。だからたとえどんな姿に見えようと、その方は一生懸命、この世での自分と愛する方々の業を落とし浄めているのです」と諭してくださいました。

そぎ落とす、身軽になるというのはもちろん、痩せ細るという意味ではありません。この世にとどまって、この世の垢を落としている最中であると同時に、愛する人々を浄める(きよめる)という大愛を行っていたのです。

*生き切る、死に切る
「あぁ、そうだったのか」と私はまるで目が覚めるような想いでした。彼女が必死にこの世の垢をそぎ落としている最中の姿に対して、私の切ないという感情は彼女の足を引っ張っていたと気がついたのです。


Photo_15 必然で起こっていることにこちらの情を交えず、彼女の意思を尊重しようと思いました。それからはただ真摯に彼女の天命を祈り、ご家族の心痛が軽くなるよう祈る日々になりました。また彼女のそばであれやこれや楽しいことなども話しかけていました。
何度か危ないときを乗り越え、5週間が過ぎたある日の夜明け、どんなに蘇生を試みても心臓はもう動かずドクターから臨終を告げられました。
ようやくみどりちゃんはこの世の業を払いきり、愛する人々を浄め、天へと旅立てたのでした。
最後は自らの意思で心臓を止め、この世での命を生き切ったのです。わが親友ながら天晴れです。

*本当の癒しとは
葬儀のときご主人から頼まれて弔辞を読むことになりました。「なんでこんなに早く弔辞を書かなきゃいけないのよ、みどちゃん」とつぶやきながら、四半世紀に及ぶ友情を思い返していると、私は彼女の人生とともに自分の人生も振り返っていたのでした。
そして「私もがんばってきたよね。よくここまでやってきたよね」と生まれて初めて自分で自分のやってきたことを心から認めることが出来たのです。
その途端、癒しが起こったのです!心の深いところから癒されていくのが分かりました。


今まで音楽や人の言葉や植物などに癒してもらった経験はありましたが、本当に深いレベルの癒しというのは自分で自分を認め、受け入れたときに起こるのだと知りました。
私は長年、仕事を続けてきて心身ともにダメージが大きく、休養を余儀なくされていたのですが、これで踏ん切りがついたのです。
「もういいや。ゆっくり休もう。体を治そう。半年仕事を休んで、半年後仕事が来なかったら引退でもいいや。違う道を探して歩いていこう」と決意できたのでした。
桜のつぼみがもう少しでほころびそうな春浅い日でした。

*たとえどのような姿に見えようとその姿は尊い
死に逝く人は物言わずともたくさんのことを後に残る人間に教えてくれています。私もみどりちゃんの死によって、たくさんのことを学ばせてもらいました。全てに無駄はなく必然で人生は展開されていく……。


生命維持装置で命をつないでいた期間のみどりちゃんは、自らこの世での業を払い、同時に後に残る家族や友人たちを浄め、別れの心の準備をもさせてくれていたのです。お世話をする時間を与えてくれました。
多分、この世での自分のプログラムをやり終えたのでしょう。
そして私はものの見方を変えてもらい、いくらかは達観視できるようになりました。
たとえどのような姿に見えようと、今、その人は辛く悲しい状態であっても、その姿は尊いのです。そのままの姿を受け入れることが大切だったのです。ですから、なまじの同情は禁物だと教えてもらいました。

すべては良くなるために起こっていると思えれば、起こっている現象に一喜一憂しなくて済みます。辛いこと悲しいこともそれが転機となり新しい世界へ足を踏み出すことにもなりましょう。
命は永遠でいつかまた逢える。そう信じて今を一生懸命生きていきたいと思います。
私もあちらへ帰ったとき、「楽しかったよ。やれるだけやってきたよ」と胸を張って言えるようでありたいと思います。
悲しみは悲しみとして、心に暖かい光を照らしていきたいですね。

今回はみどりちゃんのご主人様と富士のMさんのご了解をいただき書かせていただきました。
小林さん、Mさん、快くご了解下さり本当にありがとうございました。

次回は「平凡な毎日」ということについてお話させていただこうと思います。

2009年10月 4日 (日)

No20.ヒーリング・後編~未来の私からのメッセージ

今回は「ヒーリング~桜の木が教えてくれたこと」の後編です。
桜の木が自らの生命の鼓動を聴かせてくれて、生きる力を取り戻してから一年。
私は再び春を迎え、一人で桜に逢いに行きます。そこで桜の木が時空を超えて見せてくれたこととは……。
私の体験がどなたかのお役に立てることを願ってお話させていただきます。

Photo_24 *一年に一度の私と桜の木の時間
私は毎年、一人で花見をする時間を持ちます。花粉症なので盛大なクシャミをして痒い目を擦りながら「一年のご無沙汰でした」と玉置宏のような挨拶をしながら、この一年の出来事を桜の木に報告しています。
のんびり、ぼ~っとしながら、いい事も悪い事も思うままに話して、色々あってもこうしてまた桜に逢えたことを感謝します。楽しかったこと、嬉しかったこと、思いがけない出来事、苦しかったこと……。
そこから学んだことや未だ課題となっていることも話し、アドバイスを求めたりします。
すると不思議なことに心の奥にヒントが閃くのです。「あぁ、そうすればいいのか。そうだったのか」とすぐに納得できるのですね。植物は大いなる叡智と無条件の愛を注いでくれているのです。

*桜の花びらの向こうに見えた子供の私
まるで蜂蜜の中に落ちてしまった蟻のように、しつこく絡みつく死の誘惑から抜け出せてから一年。私は再び桜の木に逢いに行きました。
私は一年を振り返り、「去年の今頃は本当に苦しかったなぁ。でも桜の木が命の鼓動を聴かせてくれたお陰で生きる気力を取り戻せたんだっけ。助けてもらったなぁ」と感謝の思いで桜を眺めていました。
そして「一昨年はどうだっけ、その前は……」と想いが過去をさかのぼり始めたのです。
瞬間、桜の花びらの向こうに子供の頃の自分の姿を見ていました。心身ともに傷つき、どうしたらいいのかも分からず、怯え、ただ泣いて怒りを内側に溜め込んでいた子供時代の私です。
私は幼い自分にそっと光を送りました。「大丈夫だよ。今は辛くてもね、大人になったら凄くステキなことが待っているよ。ラジオでお喋りをしたり、南の国の海で泳いだり、心の優しいお友達も沢山出来ているよ。だからここまで歩いておいで。命をつないでここまでおいで」と語りかけていました。
もちろん子供の私は気づきません。でも微かな光として幼い私を導いていたのです。細い糸のような光を過去から現在につなげているのです。
私自身は俯瞰(ふかん)して見ているので、悲しみ痛みといった感情はありません。ただ優しく見守っているのです。子供の私を守護しているかのように。あるいは痛みを最小限にまで取り払っているかのように。
まるで映画を見ているようにそれぞれの年代の私のシーンが続きます。そのたびに現在の私は過去の私に光を送り、生きる希望となるような言葉をかけていきました。
「ここまで生きておいで。大丈夫。命をここまで運んでいらっしゃい」と。
ひとコマづつヒーリングしていたのだと思います。よく言われる「インナーチャイルドを癒す」ということをしていたのかもしれません。
ビジョン(見えていた映像)が終わったとき、私は私自身をなんて愛しい存在なのだろうと思ったのでした。そして自分自身に感謝したのです。

Photo_23 *微かな光をキャッチしていた
淡い桜の花びらの向こうに見えた幼い頃からの私……。
その過去の私に光を送っていた今の私。
満開の桜が見せた幻影、といわれればそれまでですが、確かに過去と繋がっていたのです。
子供の私はその存在や光には気づいていませんでしたが、グレることもなく、自殺もせず、なんとか生きてきたのは、その微かな光を心の奥でキャッチしていたのではと思うのです。
……小学校卒業のとき、校長先生が6年生全員に「好きな言葉を提出しなさい。色紙に書いて卒業のお祝いに贈ります」と言って下さいました。
私は「未来」という言葉が浮かんだので、その言葉をお願いしました。特に普段から意識したり好きだったわけではありません。ふと心に浮かんだのです。
級友たちは「努力。根性。忍耐」といった言葉が多かったように思います。
校長先生から色紙を頂いたとき、「この言葉を言ったのはあなただけだよ。あなたの未来はきっと素晴らしいよ。がんばりなさい」と優しく声をかけてくださいました。
すごく嬉しかったのを覚えています。だって初めて大人の人から希望の言葉をかけてもらったのですから。

*未来の私からのメッセージ
そんなことも思い出しながら、過去の自分を愛おしく思い、ぼんやり桜を眺めていました。
するとピカっと閃いたのです。ほんと、マンガみたいに電球がつくアレです(笑)。
私のことだからきっと未来の私が今の私を応援しているに違いない!光を送っているに違いないと!
今、私がしたことは子供の私にしてみれば未来の私が光を送ってくれたのだと確信したのです。だからくじけそうになったとき、未来の私がそのときの私に必ず光を送ってくれているのです。「大丈夫。ここまでおいで。ステキなことがあるよ。やりたかったことをやっているよ」と言っている声が聴こえた気がしたのです。
1年後の私が、5年後の私が、10年後の私がいつも見守り、希望の光を送ってくれている、癒してくれている……。
未来の私が今の私に愛の光を送っていてくれていたのです。そのことに気づいた私は涙があふれて止まりませんでした。
命を粗末にしてはいけない、自分の命は過去も未来もすべてつながっているのだ、どんなことがあっても大丈夫なのだ、愛されているのだと。
そしてすべての人が同じように自分の胸の奥にある神聖なる光で守護されていると、未来の私からのメッセージを受け取ったのです。

 桜の木が命の流れを見せてくれました。未来の自分が守護していることに気づかせてくれました。きっと10年先、20年先の私だけではなく、この地球ですでに肉体を持たなくなっている存在の私も、今の私に愛と勇気と叡智の光を送ってくれているのでしょう。
時空を超えて過去、現在、未来の私がつながり、進化を続け、大いなる存在のまなざしを持って、やがて私もこの地球の記憶の一部になるのでしょう。過去も現在も未来もある意味、同じ空間に存在している……。
視点を変えるだけで未来は過去であり、過去は未来でもあるのだと思います。
なにがあっても大丈夫。命の流れは途切れることなく、たくさんの守護の光に導かれ、果てしない旅を続けていくのだと。

 初めて一人で満開の桜に魅せられたのは中学を卒業したばかりのとき。
淡いグリーンのブラウスを着たショートカットの15歳の私が桜吹雪の中に立っています。
風が吹くたびに舞い散る桜の花びらを全身に受けながら、「あぁ、この光景は一生忘れないだろうな」と思ったのでした。ほんのり頬を上気させて新しいスタートを目前にした私の姿が今も鮮やかに見えます……。それからの過酷な3年間を乗り越えていけるだけの確かな光を浴びながら。

あなたもあなたで大丈夫。泣いたり笑ったりしながら伸びやかに、尊い命を明日へとつないでいきましょう。

次回は「心の持つチカラ(2)~この指とまれ」というテーマでお話させていただきます。

2009年9月19日 (土)

No19.ヒーリング・前編~桜の木が教えてくれたこと

人は生きていく上で、将来の夢や希望を心のエネルギーとして人生を歩んでいくのではないでしょうか。
そして年老いたとき、かつての日々を思い返し、きらめくような大切な思い出とともに自然の摂理の中に身をゆだねていく……。
今回はちょっとスピリチュアル寄りですが、私が生きていく上で大きな力となった体験をお話させていただきますね。「ヒーリング・前編~桜の木が教えてくれたこと」です。
このお話がどなたかの希望の光となり、お役に立てればいいなと思います。
ボリュームが多くなりましたので、前編後編の2回に分けて書かせていただきました。前編の今回は「未来の私からのメッセージ」を受け取る前年に起きたお話です。

Photo_26 *死にたいと思いつめた日々
これまたお恥ずかしい話ですが、私は7年ほど前の早春、病的なほど「死にたい」と思いつめた時期がありました。一ヶ月ほど毎日毎日、どうやって死のうかと考えていたのです。
もう見事にウツと言っていいでしょう。おそらく“類は友を呼ぶ”で、同じ想念を過剰に引き寄せてしまったのかもしれません。
精神世界をかなり旅し理論構築も出来ていて、それなりの体験もあるにもかかわらず、また何よりも長年に渡り、祈ってきたにもかかわらずです。ましてや幼少の頃から死ぬほど辛い経験をしながらも生き抜いてきたのに……。
まるで甘い蜜壷に落ちてしまったかのようでした。
がんばろうにも生きる気力というものが奮い立たなかったのです。
原因は「この先に希望の光が見出せなくなってしまったから」でした。すべてが停滞してしまっていたのです(と、思い込んでいた)。このとき、「人が自殺をするのは将来に希望に光が見出せなくなったときだ」と知りました。

*桜の木が救ってくれた
私がそんな死の誘惑から抜け出られたのは、桜の木が私を癒し、生きる力を教えてくれたからでした。ちょうど桜が咲き、春たけなわといった季節でした。
私は毎年、一人で花見をする時間を持ちます。
このときも一人で桜をながめ、ぼんやりと「桜はどこに行って咲きたいとか言わずに、毎年、同じ時期に花を咲かせるよなぁ。えらいよなぁ、私もすべての自我を捨てて、そんな風に生きて行けたらいいのに…」などと思いながら、淡いピンクの花びらをめでていました。
そして「動かないもんねぇ。この場所でいいんだよねぇ、君は」などと、またまたブツブツ言いながら、桜の木に手のひらを当てたのでした(苦笑)。
そのとき、桜の木がゴウゴウと大きな音を立てながら、大地に張り巡らせた根から水を吸い上げている振動が手のひらに響いたのです!「マジ?」と思いながら、今度は耳を太い幹につけて振動音を確認しました。
確かに聴こえるのです。桜の木が生きていくために地下から音を立てて水を吸い上げ、枝の先まで養分を届ける音が。生きるために必死で水を吸い上げていたのです。
動かず、ただそこに立っているだけだと思っていた桜の木が、懸命に命を繋ぐ鼓動を聴かせてくれたのです。
驚いた私は我に返り、思わず自分の体に聞きました。
「私の体さん、どうなの?」と。そうしたら、「生きる気、満々」と体が答えたのです。しかも「お腹すいたよ」とまで(笑)。
私は「あぁ、申し訳なかった。体さん、ごめんね。もう少しで私は体さんを殺してしまうところでした。本当にごめんなさい」と心から謝りました。そして憑き物が取れたように、スッキリとした晴れ晴れした気持ちに立ち返ったのです。

*肉体の声を聴く
心が体を殺そうとしていた……。なんて恐ろしいことでしょう。心と体は繋がっていますが、私はこの経験から「肉体は精神を入れる大切な器である」ことを実感したのでした。肉体が病んでも精神は冒されない、精神が病んでも肉体は冒されないことがあることを知ったのです。
だからどんなに精神的に辛くても肉体を道連れにしてはいけないのです。肉体が辛くても精神、心を道連れにしてはいけないのです。自殺をしたらだめなのです。
私はバランスの崩れた心の声ばかり聴いていて、肉体の声を聴いていなかったのです。だからもう一度言います。
どんなに辛くても、その先には光が待っているのです。
天から頂いた命を生き切っていきましょう。自ら死を選んではいけないのです。

Photo_25 *生きるヒントは必ずある
このとき、私は桜の木に救われました。植物の力が私を癒し、植物の神様が私に分かりやすい形で“命と心と体、生きるとは”ということを教えてくれたのです。すべての答えを自然界は知っているのです。
そこに謙虚に耳を傾け、心を開いてゆだねたとき、どれだけの叡智を自然は私たちに与えてくれているのでしょう。すべては繋がっているのです。
ヒントや救いの手は必ずあるのです。それは空の色かもしれない、友人のひと言や本かもしれない、動物や家族の言葉や美味しいご飯かもしれない。必ずあるのです。
そして私のガーディアン・スピリットは、私がちゃんと気づくと分かっている上で、じっと見守り、ギリギリのところまで体験させてくれたのでしょう。改めて守護の精霊の深い愛に感謝の想いで胸がいっぱいになります。
そしてそんな私の姿に黙って祈り、見守ってくださっていた恩師、家族に対して、反省と感謝の想いが溢れたのでした。

*落ち込みはジャンプするためのもの
始めの方で「すべてが停滞していた」と書きましたが、停滞とは、大きく屈んだ(かがんだ)状態です。
深く屈んだあと、ものすごく大きなジャンプをするのです!そうなるのです!落ちっぱなしということはないのですね。必ず浮上するのです。
私も憑き物が落ちたと思った瞬間に、自分の波動圏がふた周りもみ周りも大きくなった感じがしました。パワーが満ち溢れ、自由で伸び伸びとしたエネルギーに満たされた感じでした。そうしてすぐに現実的に物事が大きく動き出したのです。
あきらめていた企画提案していた番組が異例な時期なのに決まったり、イベントプロデュースを何本も担当したり、サンシャインで「同時多発テロ追悼イベント」を開催したりなどなど、寝る暇もないほど一気に動き出したのです。
今思うと、思いっきり落ち込んだときはあらゆる意味で、私自身をクリーニングしていたのではないかと思います。ちょうど自宅でお祈りの会を始めた時期とも符合しています。大きな浄化を経験しましたが、すべてにおいて無駄はないのです。
そして見えないサポートは必ずあるのです。
そしてその見えないサポートは未来の自分からも来ていることを、私はその翌年、知ることになるのでした。

一年後の私はまた桜の木と対面します。そこで気づいたこととは……。
この続きは次回「ヒーリング・後編~未来の私からのメッセージ」でお話させていただきますね。

2009年6月23日 (火)

No.13「そのままでいい」ということ

スピリチュアルをかじり始めると「そのままでいい」という言葉を良く聞くようになります。「あるがまま」とも言いますね。「自然体」とはちょっと違う意味合いの言葉です。
「ピュアハート」の中でいつかは書かなきゃと思っていたこのテーマ……。
今回は無謀にもこの深~い意味を持つ言葉を選んでしまいました(笑)。
先日の雑誌の取材でもこの言葉がテーマとなり、シンクロしてるんだなぁと実感。
「そのままでいい」を自分のものにすると、生きていくのがグ~ンと楽になりますよ。

Photo_41 *手探りで考え続けた日々
私がこの言葉を初めて言われたのは20数年前です。
ようやく精神世界に足を踏み入れたばかりの私に師匠というべき恩師が「そのままでいいんですよ」とおっしゃいました。
悩みが山盛り、自我の自己表現は花盛りといった、生きる道に迷いまくっていたときのことです(苦笑)。
師は多くを語りません。「自分で経験をして身に修めなさい」ということだったのでしょう。精神的に成長する一歩を与えてくれたわけですね。
その言葉を言われてからず~っと考えて、10年くらいしてようやく、なんとなく、分かってきたことが「いろいろあっても、そのままの自分でいいのかな」ということでした。

それまでは「こんなダメな私でどうしていいの?このままでいいわけないじゃない!」と自己否定のオンパレードでした。「そのままでいては成長しない」と思い込んでいたのですね。しかも怠けている気分になる。
上昇志向の強い私としては“がんばらなきゃ症候群”の優等生だったのでしょうね。
辛いこと、苦しいことがあっても、そのままでいいとは思えなかったのです。
「なんとか現状を回復させなきゃ。状況を良くしていかなきゃ。もっといい性格にならなきゃ。人に好かれなきゃ」などと必死でした。
誰でも苦しい状態でいるのはイヤですよね。それこそわらをもすがる思いで、毎日もがいていたのでした。
がんばらなきゃよくならないと思い込んでいたのです。
がんばって、がんばって、くたびれ果てていたのです。

*起こってくることは偶然ではない
そんな年月を過ごしている内に「必要、必然」を理解し始めました。スピリチュアル系でよく言う「偶然ではない。すべては必然」ということですね。
なにが「そのままでいいのか」。ダメな私、嫌な現実、苦しい心……。これらがそのままでいいという事ではなかったのです。

仮に自分の短所が「気が短い」としましょう。自分の性格が元で起こる様々なトラブル。
それによってもたらされるダメージ。へこみますよねぇ。深く反省もします。そこでなんとかすぐにプチっと切れないようにしようと気をつけ出す。そうやって繰り返す内にだんだん温和になってくるのですね。磨かれていくのです。
気が短い人の長所は決断が早いこと。この美点はそのままでトラブルの元が解決されていくのでしょう。
また、経済的に苦境に立たされたときは、お金のありがたさや、使い方の見直し、お金以外の価値観に気がついたりします。恋愛でもしかり、病気もしかり。
「あのときのアレがあったから、今の自分がある」と思えてくるのです。


私は自分の生い立ちを振り返って、もう一度同じ思いは絶対にしたくはないけれど「この人生のプログラムでよかった。精神性を早めに成熟させるには、このコースが最短距離だったのだ。すべてに無駄がなく、様々なしがらみを解消しながら、愛と赦しを学ばせていただいた」と思え、物事を達観してみられるようになってきたのです。(この辺の事は09.4.9付けの回をご覧になってくださいね)

*そうせざるを得なかった自分がいた
もともと持って生まれた個性だとしても、すぐにプチっと切れないと自分を守れない、口をつぐんでおとなしくしていないと痛い目にあう……などなど。

そこで短気になったり、弱くなったり、嘘をついたり、暴力を振るったり。そうしないと生きてこられないと思っていた自分がいる。決していい事ではないけれど、そうせざるを得なかった自分がいたわけですね。

罪を憎んで人を憎まず、ではないですが、このことの理解を持つと案外、人のことを許せるようになるし、自分を受け入れる初めの一歩になると思うのですね。ここからがスタートなのです。

Photo_40 *これで良くなっていく
「そのままでいい」とは、人生の中で起こるいろんなことを経験しながら、自分が成長して愛が深くなっていくことなのだと思います。
魂本来の美しい輝きに戻るための旅ともいえるでしょう。すべては自分を結果的により良くしていくために起こるプロセスです。だから、「嫌なことを排除したい」ではないのです。「ダメな私のままでいい。変わらなくてもいい」とも違うと思うのですね。
弱い自分でいい、情けないままの自分でもいいから、現状を受け入れることなのです。認めることなのです。そこからスタートして自分を修正していくのですね。愛深い私に成長していくのです。認めることが許す・赦すことにつながっているのです。
私たちは一番厄介な“赦す”(思いを手放す)ことを学んでいるのでしょうね。
起こっていることは必然なのだから、それに対して良い悪いと評価を加えずに、「災難であれ何であれ、起こったことはすべて受け入れる」と覚悟を決めて、思い煩わず、「これで良くなっていくんだな、ありがとうございます」と思えたら、大成功なのではないでしょうか。
思い煩う時間が減る分、あなたの命が伸びやかに、個性豊かに輝くと思います。

*良いところも悪いところも丸ごとワタシ
未熟なままの私でも生かされている、魂を磨くチャンスを与えられているということに感謝の想いがあふれます。
弱くて情けないと思うようなところがある私でも受け入れて、愛してくれている人たちがいる……。相手の欠点と見えるようなところも含めて愛している自分がいる……。
この事実に泣けてきますよね。
だからね、本当はそのままでいいんです。あなたの命がイキイキと輝き、泣いたり笑ったりしながら美しい人生を織り上げていくのです。そしてそんなあなたは必ず誰かの役に立っているのです。

私もまだまだ道の途中です。「そのままでいい」の理解度も来年にはさらに変化しているかもしれません。
私は私でしかなく、他の誰にもなれないのです。だから起こってくることはそのままでいいのです。起こるべくして起こり、それはやがて消えていく……。
あなたはあなたのままでいいのです。そのままで大丈夫なのです。

次回は「言葉の使い方実践編(2)~“でも・だって”を使っていませんか?」についてお話させていただこうと思います。言葉美人になれますよ。

2009年4月25日 (土)

No.9 言葉の持つ力(1)~宣言をすると願いが叶う~

さて、前回に引き続き、今回は「どうして私を傷つけた実父を許せるようになったのか」についてお話しますね。
私の体験を元に、あなたの中でしこりとなっている傷の手放し方の参考になればイイナと思います。
これは言葉の持つ力のパワーについてです。トラウマからの解放だけではなく、願いを叶えたいときに役立ちます。
上手に活用してくださいね。人生が変わりますよ。

Photo_51  *きっかけ
今から20年ほど前、まだ私が結婚して間もない頃のことです。
友人であるこづえちゃんの仕事の買い付けに、観光がてらバリ島へ同行した旅先でのことでした。
彼女は人のオーラが見えたり、前世や先読みをしたり、
除霊できたりするスピリチュアルな女の子でした。
私はちょうどシャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ア・リム」を読み終わり、こういう世界もあるんだぁ~と、心の奥で光を感知したような感覚を持ったのです。
それを見た彼女は「準備が整ったね、バリに一緒に行こう」と誘ってくれたのでした。

*私が変わった一言とは
バリ島は不思議な雰囲気に満ち、見える世界と見えない世界が渾然としているようなところ。まさに神々の島ですね。
そこで私は、見えない世界の扉が開いてしまったような
状態になったのです。もう毎日がビックリの連続!
くわしくはまたの機会に譲りますが、そんな不思議体験を重ねたある夜、私の生い立ちによるネガティブな思考回路を知っている彼女がこう言いました。
「もしこのままお父さんを許さなかったら、来世でも同じ苦しみを体験するわよ」と。
私はそんなのはもう絶対に嫌だと思い、腹をくくり
「愛するのは無理だけど、私の残りの人生の時間が終わるまでに(残りの人生の時間すべてかけて)、実父を許します!」と言ったのです。
だといいなぁ~ではなく、100%の本気、超マジの言葉です。
今思うとこれは宣言だったのですね。

*言葉は具現化する力を持つ
言った瞬間、胸の奥にあった冷たくて硬い岩のような
“かたまり”がふっと消えたのです。
決してその場で許せたわけではない。
「許せるようになる」と言っただけだったのですね。
これが言葉の持つパワーのすごさです。
本当に本気で口に出して宣言すると、言葉の持つ力によって、ものごとが具現化するのです。
私は宣言したことで、自分の中に長年住みついていた恨みや憎しみ、悲しみ痛みといったネガティブな感情を手放すことが出来たのでしょう。
ある意味、そんな感情を抱えていた自分を許すことが出来たのかもしれません。
Photo_52 これにより私の中の何かが変わったのです。
正確に言うと、私の心のバリアがはがれ、もともと持っていた本体・魂の光が外に出てきたのでしょう。
ここから自己否定ばかりで自分を認め、愛することを知らなかった私の建て直しが始まったのです。

*その後の変化
バリ島から帰ってすぐに、スピリチュアルな出逢いが続出しました。
精神世界系を探訪するうちに師と仰ぐ方とも出会い、
私は瞑想するようになり、すべては意味があること、
決して偶然ではないということを理解するようになっていきました。
自分を愛することの大切さ、自分を許すことの大切さ、
同時に人を愛し、人を許すことの大切さ……。
すべて実習のように目の前で起こるのです(苦笑)。

まずはじめに、私は自分にたくさんの愛の言葉と、自分を認める言葉をかけていきました。
そして行動としては、自分の好きな事、やりたいなと思ったことを自分にさせてあげたのです。
一人で映画に行くとか、自分が食べたいなと思う美味しいものを一人で食べにいっちゃうとか、スポーツクラブに入ったり、あげくSMAPのコンサートに一人で行き、ファンクラブの会員にまでなってしまったり(笑)。

*自分を責めるのをやめる
それと同時に、長年染み付いた“自分を責める”という
悪癖も直していったのです。
謙虚と自分を卑下することは、全く違います。
自分で自分を責めて、愛していなくて、卑下していたら、誰も自分を大切になんか扱ってくれません。
だって、自分で自分をいじめているんですものね。
人からそのような扱いを受けてもいいと公言しているようなものです。反省は深く1回でいいのですよ。
例えていうなら、売っている商品をぞんざいに扱っているお店で買物をしますか?仮に買ったとしても、その商品を大切に扱いますか?
自分を責める人は、他人をも責めがち……。
私がそうだったから、よ~く分かるのです。
自分のことを自慢もしなければ卑下もしない。これをやってきた人にはバランスが難しいかもしれませんが、要は人と会話をしているときに、そのことを慎むよう心がけることから始めればきっと大丈夫。
心の中で自分を責めるのはもうやめましょう。

それまでの私は仕事一筋で、仕事によって評価してもらい、自分の存在価値を世間から認めてもらっていると信じている人間だったのです。
いい仕事さえしていれば、私はここにいても大丈夫、
受け入れてもらえる……。
人に合わせてばかりだから、自分が何が好きで、何をしているときが楽しくて、ということが分からなくなっていたのです。相当重症ですよねぇ(笑)。
本能的に、感じると余計傷つくから感じないようにしていたのですね。
実はこれも自分の思い込みであり、人の心を裏読みするという悪い癖だったのです。

Photo_53 そうやって一歩一歩、自分を立て直していきました。
その様子を黙って見守っていてくれていたソウルメイトである親友・みどりちゃんが、
「はるちゃん、もう大丈夫だね。“私のことをいじめてもいいよ”っていうような波動ももう出してないし。苦しい世界から抜けたねぇ、よくがんばったね。嬉しいよ」と、わざわざ夜遅くに出かけてきてくれて、お祝いにお茶とケーキをご馳走してくれたのです。
SMAPのコンサートに行ってきたよと報告したときのことでした(笑)。
こうしてようやく私は毎日が楽しいと思えるようになっていったのです。

*リバウンドを恐れない
急な思考の変化は、時間が経つと元に戻ろうとします。
特に自分にとって辛いパターンになったとき。
ダイエットのリバウンドと一緒ですね。
なぜなら辛くても元の状態に慣れ親しんでいるから、
その対応のほうが楽だから、元の心の状態に戻ろうとするのです。
そこをね、ぐっとこらえましょう。
こらえ切れなくてまたやっちゃったら、もう一度やり直せばいいのです。私もね、何度も何度もやり直していましたよ。今でもほんとに心が弱ったとき、元のネガ子ちゃんに戻ろうとする自分がいます。
そんな時、「いかんいかん、絶対大丈夫」といって
乗り切っています(笑)。

バリ島での友人との会話から10年近くかけて、私は自分を愛するようになるとともに、実父へのネガティブな感情を手放していき、結果、許せるようになりました。
人生が明るいほうへ変わっていったのです。

*まだ子供のあなたへ
ただひとつだけ、もしこれを読んでいるあなたが未成年で大人の保護を必要としている子供だったら、すぐに公的機関に駆け込みなさい。
しつけではなく、日常的に家族の気分で暴力を振るわれているのならば、学校の先生でも、市役所でも、交番でもいい。お隣のおうちでもいいから助けを求めなさい。
暴力を振るわれ続けていてはいけません。
保護してもらいなさい。私のサイトのメールでもいいからSOSを出してください。
あなたが悪いから殴られるんじゃない、あなたは悪くないんだよ。大丈夫だからね。

*宣言の実践法
言葉には計り知れないパワーがあります。
言葉に深い愛の思いを込めると言霊になるのです。
だから温かい愛のある言葉を使ってくださいね。
私の友人たちも職場でのトラブルや、病気になったりと、きつい変化を体験しています。
必ず良くなると、私も祈り応援していますが胸が痛みます。
もしこれを読んでいるあなたがそんな状態だったら、「絶対大丈夫」と言ってみましょう。そう思えなくても大丈夫。必ず心が追いついてきますから。やっているうちにそうなりますよ。
就職や試験などは「○○に合格(採用)しました。ありがとうございます。」といってみてはいかがでしょうか。
言ったあと、そこで活躍している自分をイメージして、
にっこりしましょう。
願いが叶うのは神のみぞ知る……。全力を尽くした上で、結果は天にお任せです。
Photo_54 もっと言うならば、自分の未来は必ず素晴らしいのだから、良くなると決まっているのだから、とそう信じて懸命に今を生きるということではないでしょうか。
受からなかったときは「そことはご縁がなかったんだな」と思えばいいのです。
また時間が経ってひょっこり叶うこともある。
本当に不思議。私も何度もそんな経験をしています。

こうやって言葉により、自分の明るい未来を作っていけるのですね。お互いに色々ありますが、一緒にがんばりましょう。

2009年4月 9日 (木)

No.8 ここから本編~精神性への目覚めの必然として……

このページは、「温かい愛のある言葉が人生を変える」という私の経験に基づいた『幸せの法則』についてお話させていただくものです。
私たちはこの地球という星で、自分の愛を深め、ともに幸せになるために生まれてきたと思うのです。
肩の力を抜いて、もっと楽に、自分を愛して、周囲とも調和して、軽やかに生きていけたら……。
私のお伝えすることが、本来の輝くあなたに戻るためのヒントになったら嬉しいです。

*はじめに~生い立ち

Photo_55 本文に入る前に私の生い立ちを少しお話させていただきますね。ちょっとヘビーな話ですが、私がお話しすることで、似たような経験をした方、今もなお心に傷を抱えている方のお役に立てたらと思い書かせていただきました。

私は物心がつく前から18歳になるまで実父からDV(家庭内暴力)を受け続け、闇の中にいました。それしか知らず、それが当たり前と思っていて、闇の中にいるということすら気づかずにいたのです。

1歳になる前に両親が離婚し、父方の祖父母に育てられました。生みの母の顔も知らず思い出もありません。
酒乱だった実父は時々来ては、まだ3歳くらいの私を殴って帰ります。「新しいお母さんだよ。彼女だよ」と、何人かの女の人が家にやっても来ました。

「このままでいったらこの子がかわいそうだ」と見かねた実父の姉である伯母夫婦が、小学校に上がるのを機に養女にしてくれたのです。
伯父である養父も子供の頃、母との辛い別れを経験していました。養父の愛情のお陰で私は死なないで済んだと感謝しています。

幼少の頃からかわいがってくれた伯母夫婦は当時、新婚で近所に住み共働きでしたが、ちょうどそのとき遠方の公団が当たり、仕事や住居の関係、小学校に入る直前の年齢の私を夜まで鍵っ子にしてしまうのは良くないと、それまでどおり祖父母の元で暮らすことになったのです。
それでも週に2回泊まりに来てくれて、とても可愛がってもらっていました。(祖母が私を手放したくなかったというのがホントのところかもしれません) 

ただし実父は養父母の来ない日にやってきては、祖母にお金をせびり、私に大きな声で怒鳴り、暴力をふるい帰っていきました。
そして小学校4年生のときに祖父が倒れたのを機に、新しい奥さんとともに同居し始めたのでした。

それからが本当の○○といっていいかもしれません。
家に帰れば殴る蹴るの暴力が待っている、学校に行ってもいじめられる。グレると余計殴られるのがわかっているから不良にもなれない、死んだら祖母が悲しむから死ぬに死ねない……。
死ぬことも生きることも出来ず、ただ絶望の中で息だけをしていたように思います。

Photo_56 高校1年生のときに実父とその家族が出て行き、ほっとしたのもつかの間、酒に酔った実父が頻繁にやってきては、とうとう刃物を持ち出すまでに。
祖母にまで手をあげるようになり、私が全身でかばってもかばいきれず怪我をしたり。私も殴られ歯を折られ、包丁を胸元に突きつけられ、何度か殺されそうになったことも……。
祖母が「逃げなさい!」と言って、私は裸足で雪の中を走って友人の家に逃げたことや、夜遅くに汽車に乗り、養父母の家まで逃げたこともありました。
車中で痴漢に遭い、疲れきった心で養父母の家に着くなり「どうして怒られるようなことをするの!顔に傷をつけさせるためにあなたを育てているんじゃない!」と怒られたり……。
私は言い返す気力もなく、ただ祖母の無事だけを祈っていました。

度重なるこの事態に養父母が「おばあちゃんの家を建て替えて一緒に住もう」と決断してくれて、高校3年生のときようやく私は実父からの暴力・暴言から解放されたのです。
それからも実父は養父にお金の事で迷惑を掛け続け、養母は弟と夫の間に挟まれ、さらに大人になりかけの私のことでも辛い想いをしていました。
私は自分の身体の中に実父と同じ血が流れているのが嫌で、なんどか軽いリストカットをしていました。
死にたいのではなく、血を抜いてしまいたかったのです。(良い子のみんなは絶対にマネしちゃだめよ!)

私は安心して生きたかった、眠りたかった。誰かに「大丈夫だよ」と抱きしめて欲しかった……。
それでもすでに籍が抜けている私は、腹違いの弟妹や3度目の奥さんの連れ子より被害が少なく幸せだったのです。死なずに済んだのです。

実父も心の幼さゆえにうまくいかない人生や、もう自分の娘とはいえない私に対する執着心。彼の妻のストレス、養父母の悔しさと苦悩、祖父母の悲しみ……。
大人となった今の私は、実父や顔も見たことのない母も含め、この“ドラマ”に登場した当時の大人たちの気持ちがわかります。
折り合いをつけて生きていくということ……。
その折り合いのつけ方が、自分や人を傷つけてはいけないということも。

*DVの後遺症

こうして養父母と本当の親子として、安全で快適な生活を過ごせるようになりましたが、「自分の存在価値を認められずに大人になった後遺症」というものが、どれだけ私の心を蝕み、バランスの悪い人間にしてしまったことか……。
心が闇の住人になっていることに気がつかず、人に対して心を開くということがわからず、自分を愛するということすら知らないで大きくなると、まるで負のスパイラルのような人生を歩むのです。

「自分は人から嫌われる存在、自分が悪いからいじめられる、私がここにいては迷惑」という、もう笑っちゃうほど超ネガ子ちゃんな女性になっていたんですね。
仕事以外で人と一緒にいるのが苦痛で(人の目を気にして、嫌われたくなくて、よく思われたくて)、緊張して固まっちゃっていたんです(苦笑)。
リラックスして人とお喋りするなんて、夢のまた夢でした。

私はこのことから立ち直るのに、とても長い時間かけて「自分を認める、愛する」というレッスンを重ね、自分を取り戻していったのです。

「どうして私を傷つけた実父を許せるようになったのか」。

その大きな転機は、友人と行った旅先のバリ島での一夜の会話からでした。
ある一言がきっかけで、長年抱えていた憎しみや痛みを手放す一歩を踏み出すことが出来たのです
次回はこのことについて、具体的な方法も交えお話しますね。

*どうしても伝えたいこと~あなたが悪いんじゃない

私に暴力を振るい続けた実父もすでに亡くなり10年が経ちます。
生れ落ちた環境も、私を救ってくれた祖父母や養父母の愛も、すべてひっくるめて意味があり、前世での因果関係もあるのでしょう……。
でもそこを掘り起こし、責め、嘆いても仕方のないこと。

経験から何を学び、苦悩を愛に昇華させていけたのか。そしてそのことで人の役に立てるようになったのか。
この辺がテーマなのかもしれません。
私が受けた痛みは、私のテーマです。
もっと辛い経験をしている方もたくさんいることでしょう。
それぞれに学びが違うのですね。

Photo_57 多分、この世に生まれ変わるときに親や性別、国や生きていく環境、命の時間、学びのテーマを決めて、自ら望んで、選んで、生まれてくるのではと思うのです。
だから今、どんな絶望の淵にいる人も、生き抜いて欲しいのです。本当はとても強い魂なのだから。
絶対に大丈夫だから、必ず良くなるから、生きて欲しい。
今だから分かるのです、なぜ私が死ななかったのか。
それは誰にでも、大きな大きな守護の存在が守っていてくれているのです。このことはまたいつかお話しましょう。

出来事を深く見つめると、その痛みの分野をあなたが代表して受け持っているのかもしれません。
だからね、本当はあなたが悪いんじゃないと思うのです。
一人ひとりが役割分担して痛みを愛に変えていったとき、それは光となり、地球という星を癒し、調和へと導いていくのだと思います。
人間の本体は光だと思うのですね。
自ら決めたこの世での生きる時間をちゃんと使いきって、「よくがんばったよね」といって、命を生ききってあなたも私もそのときが来たら天へ帰りましょう。

実父が亡くなったとき、私は心から「この世での悪役を務めてくれて本当にご苦労様でした。私はこの経験のお陰で魂が早い速度で成長し、精神性に目覚め、今の私を作ってくれました。本当にありがとう」と言って天に送り出すことが出来ました。
そして今、このことを書き、伝えるにあたり、実父が天からサポートしてくれているような気がしてなりません。
最後までおじさんとしか呼べなかった実父へ。
「お父さん、ありがとう。」

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