スピリチュアル

2012年6月 5日 (火)

すべては上手くいっている

Photo 私の師匠、エディさんがご移行されて今日で1ヶ月が経った。

天に還ったというと距離感があるが、すぐそばの別の次元で地球のために働いていると思うと、やはり移行という言葉が合うのかなと思う。

5月5日の朝に亡くなられたのだが、

その日は雲ひとつない青空で新緑が今までにないくらいに輝き、

「この世はこんなにも美しいのだな」なんて、思わず立ち止まって家々の生垣に見とれていた。

その直後に連絡をもらい、いつかこの日が来ると覚悟はしていたものの、胸にポッカリ大きな穴が空いた様な気がした。

久し振りに慟哭した。

不出来な私を25年間も面倒を見てくださった。何度救ってもらったことだろう。

言葉では表せないほどの愛と恩義がある。

夜には大きな満月が昇り、煌々と地上を照らしていた。

この1ヶ月の間に2回の大きなピースイベントがあったのだが、

2回とも大きな日輪が出て、しかも日輪の周りには虹が輝いていた。

大成功のサインを見せてくれたのかなと思う。

Photo_4

母も肺炎が治り退院し、認知症の薬を飲み始めた。

母も自分の人生プログラムを歩んでいるのだ。

「どうしてこんなことに」とかは、余計な想い。

かつて親友みどりちゃんの死で学んだことは、本人と神様との約束。

生き死には神様の御手にあること。

そしてどんな悲惨な状態にあろうとも、たとえ昏睡状態であろうとも、この世での塵芥(ちりあくた)を出来る限り落として、身軽になって飛び立とうとしている尊い姿なのだと。

母も同じなのだ。ただ父の気持ちを思うと切なくなる。

新宿髙島屋の今田美奈子先生の「サロン・ド・テ・ミュゼ イマダミナコ」で、私のコミュニケーション講座『心癒す言葉レッスン~上手なコミュニケーションのコツ』も始まった。

「こういう内容の講座を求めていたんです!」と駆け込むように受講を希望される声を聴くと、やはりご縁の出会いなのだなと思う。

エディさんから以前、「あなたの仕事はぐるぐる集会を巡ることではなく、外の人と会って光を渡すことだ」と言われていた。

本当にそのように道が繋がっている。

ただちゃんとご恩返しも出来ていなくて心が痛む。

今月に入り、頑張っていた気持ちが少し緩んできたようで、体に力が入らない感じがする。多分、もう少ししたら気持ちの整理もつくのかなと思う。

昨日はサックス奏者の苫米地義久さんことTOMAさんのライブのお手伝いをした。

口下手な(とご本人がおっしゃる)TOMAさんのトークサポートをして楽しいひとときだった。

光の粒子のような音色にお客様も大満足だった。

Tomaballads2120 TOMAさんも辛いとき、「すべてはうまくいっている」と言う。

2度目のガンは骨に転移していた。直腸ガンの定期健診のお蔭で見つかったそうだ。

「ガンのおかげで命が救われたよ」と笑って言う。

キャリアと実力を兼ね備えた音楽家が、「目の前の人を笑顔にしたいから」と、あえてストリートで演奏する。

だから時々、TOMAさんの姿が虚無僧に見えるのかしらん。

お客様の中に「これからお通夜に行くんです。25歳でまだ若いのに。看護師として頑張っていたのにガンで……。TOMAさんのお話とサックスが聴けて良かった。御供養になると思います」と言ってCDを購入してくださった。

こういうご縁があるのだなと胸が熱くなる。

救いの手はあるのだな。すべては上手くいっているのだな。

心痛むことや困難なことも多い人生だが、それでも、すべては上手くいっているのだ。

この1ヵ月半は忙しかったりぼんやりしたりで、多くの方に心配とご迷惑をおかけした。

温かく見守っていただいた。

ブログも書かないでゴメンなさい。

本当に私は果報者です。どうもありがとう。

May Peace Prevail on Earth

2011年8月26日 (金)

愛と勇気と希望の天使たち その4

中森じゅあんさんから伺ったお話のおすそ分けもついに4回目。

ここまで延びるとは私も思っていなかったのですが、皆さん、楽しみにしてくださって

本当にありがとう!

何とか今回で完結したいと思います。

Photo リアリストのじゅあんさんが天使との明白な出会いを体験されて、

「世の中にはいくら考えても判らないことがあるものだ」と思われた。

そして「この高い高い空の彼方、上の世界には、あんな風に、何千何万何億ともしれない、神様のお使いがいるんだ。そして何らかの理由と計らいがあって、一瞬そのベールをさーっとはいで見せられたのだろう」と。(エンジュルカードより)

こんな風に素直に不思議なことを受け止められるのは、本当に素敵だなと思います。

ただ、人に伝えるために自分のエゴではないかと何度も何度もチェックされたことは、すでに書かせていただいたとおりです。

さて、様々な天使からメッセージを受け取っていらっしゃいますが、

じゅあんさんはそれら天使を“色”で認識されているそうです。

とくに赤、青、黄色の3人の天使を「愛と勇気と希望」と感じられたとか。

じゅあんさんは、「愛だけでもダメ、希望だけでもダメ、勇気がないと前へ進まないのよ」とおっしゃいました。

私はこの言葉が胸に響きました。

愛と希望は人が生きていく上で欠かせない要素です。

心の中の思いを形としてこの世に表していく力は、勇気なのかもしれません。

勇気をかき集めて発した一言。

勇気を出して一歩前に足を踏み出す。

勇気を持って立ち止まる、撤退する、などなど。

何かを決断するときは勇気が要るものです。

ましてや未知の領域に自分が足を踏み出そうとするときは特にそうですね。

ただ、決断するのが怖くて、勇気が出なくて、スルーしてしまうこともあるでしょう。

「あの時、やっておけば良かった」「YESと言っておけば良かった」などと

後悔してしまうこともあるでしょう。

Cf_1_2 私は思うのです。

勇気を出して行動に移すことも、立ち止まることも、決断できなくて流れに身を任せてしまうことも、すべてすべて尊い経験なのだと。

弱くてもいい、情けなくてもいい。

たとえ病院のベッドの上で天井を見上げていてもいい。

多きなお役目だとか、あってもなくても、どっちでもいい。

今、ここにいて、生きているということは、命を地上にとどめ、人と交流し、自然界に生かされ、命を輝かせていることなのだと。

吸った空気が私たちの体を通り濾過されて、吐く息が生命の力として光として放出される……。美しい循環だと思います。

それだけでひとつの生命体としての役目を果たしているのではないかと。

なるべく良いことを、愛の言動を、善なることを、世の中に役立つことを出来たらと願います。

ただ、それらが出来ないときもあるのですから、勇気を持って、そんな人生の季節を受け入れていけたらいいなと思います。

誰の心の中にも、愛と勇気と希望があります。

たとえそれが小さいように見えても、必ずあるのです。

誰にでも生まれたときから守護の天使が常に寄り添い、

与えられた命を全うできるように見守ってくれていると思います。

中森じゅあんさんの「愛と勇気と希望の天使たち」のお話を伺って、

改めて勇気の意味を考え、大切さに思い至りました。

じゅあんさんに感謝です。ご一緒させていただく機会をくださった今田美奈子先生に感謝です。

素晴らしい先輩方に教えていただくことが多く、幸せだなと思います。

Photo_2 最後になりましたが、「神様のお使い」の姿は、エンジェルだけではなく、

弁天様や弥勒菩薩様など、その人に理解しやすい形とのことでした。

空一面のベビーエンジェルor弁天様……。私はエンジェルがいいかなぁ。

2011年8月23日 (火)

愛と勇気と希望の天使たち その3

Photo 先週末から雨が降って、しばし猛暑から開放されましたね。

今日は午後から雨上がりの爽やかな風と夏色の空が広がりました。

気持ちも体もホッとした感じです。皆さんはお変わりないですか。

さて、天使のお話の続き。2~3日後の予定があっという間に今日になり……。

浦島太郎の気分です。すんまへんなぁ。お待たせしました。

「愛と勇気と希望の天使たち その2」にコメントを下さった、

のこちゃんさんのご感想の通り、見えないものが見えたり聞こえたり、お告げを受けたり、

真理が分かり始めると、どうしても人に言いたくなります。

初めは善意であっても、いつしか自分を教祖にして迷える人を自分にすがらせてしまう。

あるいは自分は特別と思い始める……。

目には見えない存在・サムシンググレートや真理に対して本当に謙虚であるならば、

自分にすがらせず、頼らせないで、自立する道を示すのがベストだと思うのです。

アドバイスはありきですが、自分の人生を全うさせる力が自分の中にあることを教え、

生き抜いていく力や勇気が出るように背中を押してあげることではないかなぁと思います。

私は霊能者と呼ばれる方と出会う機会が多いのですが、

中森じゅあんさんはこのことを深くご理解されていて、常にご自分を厳しく俯瞰していらっしゃるように思いました。

Photo_2 天使たちから受け取ったメッセージを多くの方へ伝えるために

「天使のメッセージ ANGEL CARD~52の天使からの愛と幸せの贈物」(大和出版)を作られているので、

このことにも触れておきましょう。

クリスマス用に作られたトランプカードにはそれぞれ違う天使が描かれ、一枚ずつタイトルとその意味の説明がついている、ヨーロッパティストのすごく綺麗なカードです。

今田美奈子先生のサロンセミナー「今田美奈子の夢のティ・タイム」で、じゅあんさんがこのエンジェルカードが生まれた秘話と使い方をお話してくださり、それぞれ参加者もカードから自分だけのメッセージを受け取っていました。

自分に必要なメッセージを受け取るために、心の中で質問しながら、カードを気が済むまで切って左手でカードを取ります。

私が引いたカードは『自由』でした。「小鳥のように、風のように、空のように 心の世界には限りない自由があります。自由に羽ばたきましょう」とありました。

うわぁ、ドンピシャです!あいたたたたっ!

年明けのおみくじでも「こうあらねばならないという想いから自分を解き放て」とあり、

「また同じメッセージだなだぁ」と、変えなきゃいけない自分を突きつけられた感じです。

これは必然で手元に来たメッセージなのですね。

まさに自分で自分を縛って、息苦しい時を過ごしていたのですから。

ちなみに私の質問は、「停滞していると感じる今の状況を変えていくために、

私はどう自分を改めたらいいですか?」というものでした。

Photo_3 さて、参加者のある方の「大切なブローチが見つかりません。どこにありますか?」という質問に対して、じゅあんさんは「このブローチが見つからない状況から、私は何を学べば良いのでしょうかと聞くのがベスト」とアドバイスをされていました。

つまり、このエンジェルカードを使う上で一番大切なのは、質問の仕方だったのです。

じゅあんさんが教えてくれたのは、YES・NOで答えを求めるのではなく、また天使に答えを委ねるのでもなく、あくまで自分が主体的に問題を捉え、考えるということでした。

人間は苦しい時は早く楽になりたくて、すぐに答えを欲しがりますが、体験するすべてに意味があるとしたら、その意味を理解し学び、自分の心の栄養にして成長していくことではないのかなと思います。

「私の行く道はどっちでしょう。」「私が幸せになるためにどちらを選べばいいでしょう」ではないのですね。

迷っているならば、その迷っている状況が自分を育んでくれていると思い、一歩を踏み出す勇気をエンジェルカードから受け取るのでしょう。

どんな時もせっかちにならず、人生を味わうことなのかもしれません。

質問するにも智恵を働かさなければいけないのだなぁと教えていただきました。

何より、愛と勇気を希望の天使たちが伝えるのは……。

おっと、今回はこの辺で。話が佳境に来たのに、すんまへんなぁ。

この続きは2~3日後に。また遊びに来てくださいね。

2011年8月17日 (水)

愛と勇気と希望の天使たち その2

神様は時として、とても素敵なプレゼントをして下さいます。

その時はその出会いの意味が分からなくても、

後になって「あぁ、そういうことだったのか」と、

絶妙なタイミングで理解が出来ることがあるのですね。

多分、この時のランチはそういうものだったのかもしれません。

そしてじゅあんさんが初めて天使と出逢ったことも……。

洋菓子研究家の今田美奈子先生、天使のメッセンジャーであり算命学の中森じゅあんさん、

元海洋生物研究者でシンガーの綾乃ひびきさん、そしてパーソナリティの私。

職種も違い、共通項が少ないように思われる私たちですが、

スピリチュアルな世界を深く理解しながらも、その世界にどっぷりと浸からず、

この世にしっかりと足を着けて、自分の成すべきことを遂行しているのが共通点でしょうか。

見える世界と見えない世界のバランスの取り方がうまいのかもしれません。

Photo_2 さて、皆さんは天使を見たことがありますか?

私は瞑想中に見たことはありますが、目をパチリンと開けている時に見たことはありません(う~、残念!)。

中森じゅあんさんが初めて天使を見たのが1985年。

青山のビル街を歩いている時だったそうです。

ふと呼ばれた感じがして空を見上げたら、淡い虹色の光とともに赤ちゃんの姿をした天使が

空いっぱいに飛んでいたのだそうです。

もうビルとビルの谷間もいっぱいに埋め尽くされたエンジェルの大群!

あまりの不思議さに目を見開き、思考は停止。

天使たちはじゅあんさんがこの光景を見たのを待っていたかのように、

いっせいに姿を消したそうです。

うわぁ~、私もこんな経験をしてみたい! 天使が好きな人はみんなそう思いますよね。

ただ、このような特殊な体験をされる方は、やはり大きな使命があるようです。

じゅあんさんはそれまで天使のことを考えたり、宗教の世界にいたわけでもありません。

むしろ現実主義者と言ってもいいでしょう。

その後、天使たちがじゅあんさんを訪れ、メッセージを伝えていくようになりました。

それは見る、聞く、感じる、といった感覚とヒラメキを通して送られてくるメッセージだそうです。

Photo_4  このお話を聴きながら、「さすがだな!」と感じ入ったのは、しばらくの間これらのメッセージを疑い、チェックし、時には拒否もされたそうです。

やがて自分はあくまでも道具として、これらのメッセージを広く伝えていくのだなと思われた……。

お試しもたくさんあったそうです。

「我こそは!」という自我は甘い誘惑。

ですから常に自分を内省し、メッセージ内容をチェックし、謙虚でいらっしゃるのでしょう。

リアリストならではのじゅあんさんの「ホント、不思議よね~」と客観視された言葉が印象に残ります。

これは人をコントロールしない大切な要素ですね。

自分にすがらせない、自分を教祖にしない。

Photo_5 みんなが幸せに生きていけるように、誰にも天使が生まれた時からついていて守ってくれていることを、キチンと胸の奥に届く言葉で語ってくださいました。

中でも愛と勇気と希望の天使がじゅあんさんの元に訪れた時のお話は……。

今回はこの辺で。いいところに来たのにすんまへんなぁ。

この続きは2~3日後に。また遊びに来てくださいね。

2011年8月16日 (火)

愛と勇気と希望の天使たち その1

暑い日が続きますね。皆さんお元気ですか。

前回の更新から10日も過ぎちゃって。アララと言う感じ。

毎月第2週はかなりハードな1週間を過ごしています。

すんまへんなぁ、多めに見てください。

さて、この11日間にいろんなことがありましたが、ステキな出会いのお話を。

大好きな今田美奈子先生と中森じゅあんさんとご一緒にランチをしましたので、

夢のような幸せなひとときのおすそ分けをしますね。

Photo_4 私が大変お世話になっている洋菓子研究家の今田美奈子先生の

ティ・サロン「サロン・ド・テ・ミュゼ イマダミナコ」(新宿髙島屋4階)では、毎月1回ゲストのお話を聴きながら、美味しいお菓子とお茶でのティータイムを過ごす

夢のサロン講座「今田美奈子と夢のティータイム」が開かれます。

私も昨年、講演させていただきました。

今田美奈子先生は洋菓子界の重鎮。日本で初めてチーズケーキを紹介された方です。

先生が作られるケーキは、それはそれは美味しくて、まさに芸術であります。

Photo_5 サロン講演のこの日をチョイスして、

美奈子先生にご紹介するシンガーの綾乃ひびきさんをお連れしました。

「今日のゲストは誰かなぁ」とワクワクしながら席に着いたら、

なんと中森じゅあんさんでした!

中森じゅあんさんは天使のメッセージを伝えてくださる、女性に大人気の方です。

算命学の先生でありコピーライターでいらっしゃいます。

講演では、天使のメッセージを受け取るようになったいきさつと

天使の存在についてお話くださいました。

そしてそれら普通では目に見えない存在と交流する上で、

ご自分を磨き内省し、器としてのご自分を深く自覚されていかれたお話に

参加者は胸を打たれていました。

Photo_6 サバサバしていて自然体。

ご自分を常に省みて、「我こそが!」なんて所がひとつも無い、

クレバーな素敵なお姉さまです。

スピリチュアルだけど地に足をちゃんと着けて、

まっとうにわが道を歩いてらっしゃいます。

美奈子先生と並んでいると同級生のような、魂の型が似ているような、

方法は違うけれどこの世での大きなお役目を果たす使命を持った同志のような、

そんな感じがしました。

そのお二人に囲まれてランチをご一緒し、たくさんのお話を聞かせていただきました。

その中で印象に残った愛と勇気と希望の天使とは…。

今回は写真が多いので、文章はこの辺で。

いいところで終わっちゃってすんまへんなぁ。

続きはまた明日か明後日♪ また遊びに来てくださいね。

今田美奈子先生  http://www.imada-minako.co.jp/

中森じゅあんさん http://www.juan.jp/

2010年12月21日 (火)

46.変化を受け入れる~手放すとは

Photo_5 2010年、今年最後のエッセイです。
12月は大掃除や新年を迎える準備が同時進行ですね。
また今年一年を振り返り、反省したり満足したり。
そこで今回は、「変化を受け入れる~手放すとは」についてお話させていただきます。
No.45「宇宙から離れて行く……」にもリンクしています。

*2011年は、分かれ目の年
今日は満月と皆既月食が重なり、翌日は冬至。太陽の新年に当たり、宇宙的にはスペシャルな日のようです。
日本を代表する星占術のマドモアゼル・愛先生は、
「2011年は、分かれ目の年。もう待ったなしで、何かが始まるのですが、その変化を受け入れない人には、世界はどんどん住みづらい場所となっていくでしょう。ダメなものは手放すこと、本当に大切なことだけを生活の中心に据えること。ですので、シンプルな価値観、考え、生き方となっていくことになります。」とおっしゃっています。

*変化を受け入れると新しいことがやってくる
誰にでも手放したくないもの、また手放したいのだけれど、なかなか手放せないものってありますよね。
それは品物であったり感情であったり人であったり。
感情や人間は執着がともなうことがありますので、品物より厄介かもしれませんね。
手放す、執着を捨てる、というのは「もっと自由な自分になりたい」という変化を受け入れることでもあります。
変化を受け入れるのは、未知の世界に足を踏み入れるようなもの。怖いし勇気が要ります。
「本当は嫌だけど、これを手放したら次がないかもしれないし、とりあえず持っておこう」と思うのは人情としてよく分かります。ことに恋愛だとそうかもしれません。
私も整理ベタなので片づけが苦手です。物の整理と気持ちの整理、時々まとめて、思い切って「エイヤッ」と捨てています(笑)。ただ、人とはなかなか難しいですね。
時期を見なくてはいけないこともあるでしょうし、周囲とのつながりもあることでしょう。
それでも変化を受け入れて決断すると新しいことがやって来るようです。

*直感と体の安心感がサイン
私も決断が鈍るときがあるのですが、「これは手放そう」と決めたら、体がすごく楽になりことがあります。
不思議だなと思うのですが、気持ちと体は本当につながっていて、正しい選択をしているときは体が安心しているのです。
AかBかで迷ったとき、常識で考えたらAなのだけれど、Bだと体は安心してゆったりしている。また自分に問いかけたとき、ファースト・インスピレーションでBだと受け取る。ファースト・インスピレーションとは、一番初めに心に閃いたことです。
直感と体が安心しているというのは大事なサインです。
これらは自然界で人間が生き残る本能として私たちが持っているのだと思います。
人からの助言もありがたいですが、自分で決めるというのは大切なこと。たとえ人からの助言に従ったとしても、それを選んだのも自分なのです。
そのためにもなるべく自我を少なくしていけたらいいですね。心のアンテナをきれいに磨いておくと、感性が良くなるし迷いが少なくなってきます。

*決断したら物事が動き出す
私もそうですが、誰もが自分が正しいと思っています。
そして変化を嫌います。傷つくのが怖いし、失敗したらどうしよう、新しい環境に馴染めなかったらどうしようと不安にもなります。
ただ、みなさんもお分かりのように、いつまでも同じではいられないのです。人間は成長していくものです。古い殻を脱ぎ捨てて、新しい自分になっていく……。
脱皮には痛みがつきますが、必ずそれは癒されるのです。
決断したら状況が変わってくることでしょう。不思議なことですが、物事がうまく動き始めるのです。
ただ、いつ行動に移すか、どう伝えるかは、ちゃんと考えていくこと。思いやりとともに左脳も使いましょう。
現実的に対応していくことが大切です。
特に人が相手の場合は、しこりを残さないようにしたいですね。

手放す感情というのは、人との別れだけではないのです。こじれていた事に向けて解決を図ることもそうです。和解をしたり、自分から謝ったり歩み寄ったり。
心のしこりとなっているものを手放すのですね。そうすると心が柔らかくなって自由を感じることでしょう。
今年一年振り返ってみて、心の中にわだかまっているものがないかチェックしてみるのもいいですね。そうしたとき、引っかかるものがあったら、空に向かって「この感情を手放します」と言えばよいのです。
和解していないのならば、直接、話せるなら話をして双方のしこりを解くように勇気を出してみる。
すでに和解しているけれど、自分の中に未だこだわりがあるのならば、もう相手には言わずに空へ(天)に向かって言えばよいのです。
言わなければ気がすまない、自分がスッキリしたいというのは、気持ちは分かりますが、よく見つめるとこれもエゴではないかなぁと思うのです。

*自分に対するネガな感情も手放す
きれいに掃除したお部屋が気持ち良いのと同じように、いらない感情も手放してしまうと、心の中が広々としてくるでしょう。
人に対してだけではなく、自分に対するネガティブな想いも、もう手放してもいいのではないでしょうか。手放すとは開放する、赦すということです。
上手くいかなかったことや泣きたくなるようなことも、もう終わったこととして自分を責めないことです。
すべて良くなるために縁に触れて現象が起こってくることを考えると、あまり想いをいじらずに「ありがとうございます」と感謝で受け止め、サラサラ流していけたらイイナと思います。
私も早めに想いを手放すことが出来るようになって随分楽になりました。

*私の今年は……
一年を振り返ると、私にとって今年は変化に富んだ年でした。
3月末に初めてのエッセイ「Pure heart ~桜の木が教えてくれたこと」を上梓し、NHK文化センター青山教室で連続講座「ことばレッスン~上手なコミュニケーション」講師、サトルエネルギー学会理事拝命、「ラブ&ピース リーディング 武田はるか朗読教室」開講、来年1月から「サトル・サロン」がスタートし担当するなど、みなさんの後押しで新しい世界を探訪しています。
2月に片岡慎介さんがお月さまに還り、3月に森卓也さんが宇宙に還り……。恩人であるお二人を見送りました。

喜びも悲しみもいろんなことがありましたが、自分の中心がブレないでいることの大切さを学んだ年だったと思います。そして“動”の年でもありました。
どんなことがあっても、師と仰げる方が何人もいて、心が通い合う友達と家族がいる。たとえ、それらから離されたとしても、素晴らしい想い出があり、心の中にしっかりと光の柱が立っている。本当に幸せだなと思います。
秋の始まりに再び気管支喘息の発作と股関節の痛みでベッドに横たわる日々がありました。そのとき、「自分にとって一番大切なことを優先順位にして暮していこう」と改めて心に刻みました。忙しすぎて自分にとって大切なことを後回しにすることが多かったのです。
まだまだ未熟な私ですが、変化を恐れず、シンプルに生きて行こうと思います。
縁あって出逢った方々、起こった出来事に、ようやく「おかげさまで」と感謝する気持ちが増えました。
今年一年、本当にありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

♪一年の中でいちばん、愛に輝いているクリスマス&ニューイヤ。
この季節を世界中の子どもたちが幸せに過ごせますように。おとなたちも幸せでありますように。すべての生き物が幸せでありますように。
みんなが安心して夜を眠ることが出来ますように。戦火が消えますように。
世界人類が平和でありますように

2010年12月 6日 (月)

No45.宇宙から離れて行く……

Photo_6 今回のテーマをご覧になられて、「えっ、来年、何かあるの?2012年関連の話?」とドキッとされたらゴメンなさい。そのようなネガティブ・ニュースではありません。
この「宇宙から離れて行く」という言葉は、私が日頃から大変お世話になり、「Pure heart ~ 桜の木が教えてくれたこと」ではスポンサーになってくださった、たまサロンオーナーの藤井惇子さんのお父様である先代のたま出版社長・瓜谷侑宏さんがよく口にされていて、先日もその話題が藤井さんから出ました。
このことが心のアンテナに感知して、「これからすごく大事なことだな」と思いましたので、今回のテーマにしました。
前回のNo44.「みんな つながっている」にもリンクしたお話です。

*人脈を作る
もう15年ほど前になりますが、私はたま出版・先代の瓜谷社長には大変お世話になりました。
まだヒーリングミュージックが世の中に認知されていない頃、NHK・FMで初の特集をオンエアし、民放でも番組をとスポンサー探しに奔走した時に随分と相談に乗っていただきました。
たま出版は精神世界系のパイオニアともいうべき出版社です。今は休刊になっていますが、雑誌「たま」のファンは多く、スピリチュアルな情報や魂のビタミンになるような記事が満載でした。
そういえば科学者の大槻教授とトークバトルをするUFOの一見、怪しい?情報を話す韮澤さんが編集長をされていましたね(笑)。
この時、瓜谷社長は、「はるかさん、人脈を作りなさい。これからはネットワークの時代だよ」といつもおっしゃってくださいました。
私にとって、今でこそ共鳴しあい手を取り合っていける仲間がたくさん出来ましたが、まだこの頃は心を開いて人とお付き合いする術を学んでいた真っ最中で、「人脈を作る」というのは苦手なジャンルだったのです。

*自我があればあるほど……
普段は個として独立していても、何か大きな事を成すときはそれぞれの力を持ち寄って成就させる。とても理想的な展開だと思います。もう一人勝ちする時代は終わったのではと思いますね。
瓜谷社長はとてもスピリチュアルで叡智あふれ、未来を読み解く力をお持ちの方でした。ネットワーク化が進むと、組織もピラミッド型からヨコ型へとますます変わっていくでしょう。つまりワンマンは生き残れないということですね。
瓜谷社長が「心に留めておきなさいよ」と、私たちにおっしゃったメッセージは、「自我があればあるほど、宇宙から離れて行く」ということでした。
つまり、「自我を無くして行けばいくほど、宇宙とひとつになる、宇宙から愛される、宇宙からのサポートをたくさん受ける」ということなのでしょう。

*変化を受け入れると道は開ける
自我を無くすのはかなり厄介で、自我を無くそうと自分を律していくのは悟りの境地を目指すことになりますね。
生き残ろうとする本能が自我となり……。自分を守り、自分が一番手放したくない執着していることなどは特にそうです。
自分の都合のいいように人には変わってほしい。でも自分は変わりたくない……。こういう葛藤と格闘せずに変化を受け入れて自らが変わろうとすると、自ずと道は開けるのかもしれません。
自分ひとりの心の問題ならばともかく、人と人とが争っているのを見るのは辛いものです。
みんな自分が正しいと思っているのですから。
それぞれが違っていていいのだと相手との違いを受け入れる多様性を、私たちは身につける時代が来ていると痛いほど感じます。
それほど自分の主張や生き残りをかけたようなドラマをこの頃、見せられています。見るご縁があるから見ているわけですが、批判や非難をしないで祈ることをひたすら、自分に言い聞かせています。
中心をブラさないで、良い悪いと評価を下さないでいるのは難しいことですが…そういう自分でありたいと思っています。

自分の正しさを主張するのではなく、それぞれの良さを認め合って調和していけば、瓜谷社長がおっしゃったように「宇宙とひとつになる」のでしょう。私自身、実感としてはまだあまりないのですが、そうなって行けたらいいなと思います。
みんなつながっていて、本当はひとつなのだという意識まで成長できて良かったなと思うこの頃です。心が自由になっていくのを感じます。
随分前に教えていただいたことですが、まるでタイマーのスイッチが入ったように、この言葉が心によみがえってきました。まだまだ自我がある私です。「早く手放しなさいよ」というサインなのかもしれませんね。

世界人類が平和でありますように

2010年11月22日 (月)

No44.みんな つながっている

Photo_9   「世界で一番恐ろしい病気は、孤独です」。これはマザー・テレサの名言です。
孤独感がどれだけ自分を蝕んでいくか……。どなたもご経験のあることでしょう。
私が大好きな龍村仁監督さんはじめ霊性に目覚めている方々は、「みんな繋がっている」とよくおっしゃいます。
人とつながっている感じ、自然とつながっている感じ、宇宙とのつながり……。このつながるってどういう感覚なのか、今回はちょっと難しいテーマですが、ご一緒に考えてみましょう。

*群れる?つながる?
人と対立したり、人の輪の中に上手く入っていけなかった時など、自分を理解してくれる人が欲しいと誰もが心から願いますね。
この世で自分は一人なのだと心を閉ざしてしまうことが引き金となって、哀しい事件なども起こります。
「私は一人でも生きていける」と強い気持ちを持っている方もいますが、自然界の生き物が群れから離れて生きていくのが困難なのと同じように、人間も本能として一人で生きていく怖さを知っているのでしょう。
サポートはもちろんありますが、本来、人間は一人で生まれ、一人で死んで行きます。この世という場所で愛を学び深める旅です。
そこで考えたいのは、安心安全のために“群れる”ではなく「つながっている」という感覚を持つと、どんな風に自分が変化していくのでしょう。
そもそも、つながっているとはどういうことなのでしょうか。

*本当はみんなわたし
例えとしてよく言われるのが、「右手と左手」です。それぞれ離れていて別々の動きが出来るけど、体全体を見ればつながっていて、ひとつのものである。国と国が戦争をするのは、まるで右手と左手がケンカをしているようなものだと。
「それは頭では分かるけど……」という方のために、以前、私がグループ瞑想をしたときに感じたことをお話させていただきますね。
あるとき恩師の元で7~8人で円陣になり、手をつないでエネルギーを一定方向に流しながら、心を内側に向けていきました。するとそれぞれの人の体験などがスナップ写真のようにポンポンと心のスクリーンに映し出されてきました。
「あぁ、この人はこんな辛い体験をしていたのか。この人の優しさはここから来ていたのか」などなど。ある人は病気という体験を通して愛を学び、ある人は子供を通して、ある人は仕事や恋愛を通して……。
それを観じた私は、これらの体験をすべてひとりで行ない、学びとして愛に昇華させるには、自分ひとりのこの人生では時間足りないし、とてもカバー出来ないと思いました。「だからみんなで分担しているのだ」と気が付いたのでした。
私たちはひとつの大きな意識から分かれてきて、独立した形を取っているけれど、体験や意識は共有していると実感したのです。だから、あの人もあの人も本当は私なのだと思えたのです。まるで分身の術みたいだなと思ったのでした。

*違いを受け入れるとシンクロニティが起こり始める
ひとりひとり違っていていいのです。多様性を受け入れると自由な心になってきます。
ひとりひとりが自分のテーマを担当して、お互いにご苦労様と言えるようでありたいなと思います。自分自身が大いなる生命のつながりの中で生かされている感覚を蘇らせることが、この時代に必要なことなのかもしれませんね。
このことを大切にしていくとシンクロニシティ(共時性)が生まれてきます。
たとえば、自分がある目的を持って事を成し遂げたいと思っていて、そのために力を貸してくれる人を探していたときに、道でバッタリ会った知人から良い情報を聞いたり、人を紹介してもらえたりとか、心のビタミンになるような自主上映の映画を観にいったら、気持ちの通じあう友人が偶然同じ回に来ていて、一緒にプランを作ることになったとか、こちらから電話しようと思っていたら、相手から電話がかかってきたとか。
虫の知らせのような、意味のある偶然の一致がこのように頻繁に起こってくるのです。不思議なことですが、ポジティブなエネルギーで引き寄せているのでしょう。
これが「つながっている」という感覚ではないかと思います。

*霊的な進化……
つながっているからこそ、自分ひとりの小さな営みが全ての存在に影響を与えているということに思い至ります。
以前、龍村監督にインタビューをしたとき、このようなお話を伺ったことがあります。
『違いを受け入れるという精神的な成熟が全ての命に大切なこと。エゴという浅いレベルから個性を否定するのではなく、むしろ個性を開花させるためにも深い所で人間は全部同じだし、あらゆる命も共に同じ所に繋がっている。
それは過去も現在も未来も時空を越えて全部繋がっている感覚。それを実感として持つのが霊的な進化なのです』と。
つながっている(繋がっている)意識を持つと何が起こるか。私の経験からしても、直感的になり素晴らしい出会いに恵まれるようです。
それぞれが独立した個性だけれど、根っこではつながっていて、みんなひとつ。そのことをフォーカスしていくと、人だけでなく、自然やすべての生き物、果ては宇宙ともつながっている感覚になるのでしょう。

色々あって大変な人生だけれど、自分の想いや言葉、行動が波紋となって広がっていくならば、地球の現状は自分にも大きな責任があるのだなと痛感します。

ひとりだけど、ひとりじゃない。自立したひとりひとりがつながって、あなたもわたしも海や空や花も樹も生き物すべて、みんな、みんな、つながっている。

2010年8月27日 (金)

No39.無垢な夏の日~海と夕陽と追悼コンサート 後編

Cd 「No.38 無垢な夏の日~海と夕陽と追悼コンサート」の後編です。
この後編に登場する森卓也さんと真砂秀朗さんについて「プロフィール」ページに掲載されていますので、こちらもご覧になってくださいね。

*月の光とともにコンサート会場へ
8月22日、この日のおーちゃんとなみさんと私の3人がスムーズにコンサート会場へ到着できるように、時間もバスもタクシーもカフェも出逢う人も、まるですべてが完璧に整えられているかのようでした。
大好きなアーティスト、ネィティブ・フルートの真砂秀朗さんとピアノのウォン・ウィンツァンさんのニューアルバム リリースコンサート「エターナル・トルゥース」です。
会場は葉山福祉文化会館ホール。
私は初めて来たのですが、敬愛するサウンド・プロデューサー森卓也さんがレコーディングのマスターエンジニアとして、ウォンさんと真砂さんの作品を手がけ、何度もこのホールで演奏し録音していたのでした。
森卓也さんは8年間の闘病の末、今年の3月に宇宙へ還って行きました。私にとって2月の片岡慎介さんに続いて、またひとり大切な恩人が旅立ったのでした。

海の見えるデニーズからタクシーに乗り、森戸海岸から民家を縫うように山へと車は進みます。
葉山の海の金色の夕陽の中で無邪気に笑っていた私たちは、いつしか上空で銀色に輝く満月の世界に入っていきました。
会場に着いて、来場者でにぎわうロビーへ。
なみさんのお嬢さんの結花ちゃんとも合流して、嬉しい笑顔が広がります。結花ちゃんのお友達の亜也子ちゃんにも「こんばんは」をして、改めてロビーを見渡しました。
なんとなく、いつものコンサート当日の雰囲気と微妙に違うのです。ロビーの空間の中に薄い少し暗めのブルーの色が漂っているというか、透明な哀しさのようなものを感じたのです。
なんだろうなと思いながら客席に入り、すぐに音響のブースを見ました。森さんはもうそこにはいないのに……。大きな笑顔で「やぁ、どうも~」という声が聞こえてきそうで、懐かしくて、切ない。
森さんの片腕だった間宮さんがいたらご挨拶をしようと思っていたけれどいなくて、ちょっとがっかりしたりして。
自分がこんな気持ちだからロビーの空気がなんだか少し哀しいなんて感じたのかな、なんて思いながら席に着きました。
定刻で開演し、真砂さんのネィティブ・フルートのソロがゆるやかに会場の空気を海や空を感じる世界へと変えていきます。そしてウォンさんの登場。
軽くお互いにエールを送りながら、「今日はお盆だから親戚がいっぱい来てるね」と会場の笑いを誘います。
私は「あっ、そうか!今日は旧暦のお盆だったんだ」と初めて気がつきました。月遅れのお盆ではなく旧暦のお盆です。「だからだ。いつもとちょっと違うと感じたのは、ロビーのスタッフの方もお客様の中にも3月に逝った森さんを悼んでいたんだ。みんな同じ気持ちだったんだね」。
目の奥がツンと痛みました。

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*永遠の真実
コンサートの曲目は最新アルバム「エターナル・トルゥース」の曲順通り進んで行きますが、ウォンさんから「今日の演奏は、録音されたCDとは全然違う曲になっています」とトークが入り、会場に笑いが広がります。
このアルバムは、インプロ、即興の要素が強いスピリチュアルなコラボレーションアルバムだからなのですね。
分かりやすいメロディアスな音楽というよりは、瞑想状態に誘うような深さと気持ちが軽くなっていくような感覚があるのです。
演奏しているお二人もこの世に軸足を置きながらも、瞑想状態で演奏しています。自然な呼吸とリズムで海や森や空へ体が溶けていくような感じの美しい旋律が生み出されていきます。
今回のコラボレーションアルバムは3作目にあたり、エターナル・トルゥース=永遠の真実と名づけられた“本当の音”を追求したものだと思いました。
それは3作全てこの葉山福祉文化会館ホールでレコーディングしてきた真砂さんとウォンさんと森さんの歴史と音に対する決意だと思うのです。
演奏が始まってすぐに真砂さんのフルートの音色は、より自由で“境界線がなくなった”と感じました。まるで空気中にある音をフルートで紡いでいるような、見える世界と見えない世界のラインが薄くなってしまっているような、両方の世界をうまく繋いで調和させている。そんな感じがしました。
ウォンさんのピアノもさらに凄みが増した感じで、どこまでも透明な響きは迷いがなく、光の粒子をたっぷり含んだ音色がまるで聖水のようにすべてを清めているようです。多分、天国で響いている音色はきっとこうなんだろうなと思わせる深くピュアなピアノです。
合間のトークでウォンさんが61歳になったこと、大切な仲間が何人か旅立ったこと、今も病床にいる人……これらの人へ思いを馳せ、「お盆だからね」と言う。
そうか、森さんだけじゃなかったんだ……。私よりも年齢が上のウォンさんと真砂さんはもっと多くの大切な人を見送っていたのだなと気づきました。
今回のコンサートはニューアルバムのお披露目ではなく、追悼コンサートだったのです。

*こういう音に繋がっていれば、私は大丈夫
2部の始まりにウォンさんがチベッタン・ベルを鳴らしました。さらにピアノの弦をかき鳴らし(ホールの人に怒られていたみたいだけど)、み霊となった方々へ合図を送っているようでした。
私も開演前から森さんに意識を合わせ、祈りを捧げていました。そうすることで、この世とあの世の扉が少し開いて、存在が近くに感じられ、「いつも一緒ですね」とニッコリ笑顔を向けられる様な気がして……。
コンサートも終盤、10曲目の「環・サークル」がウォンさんのピアノで始まったとき、「この曲は森さんに捧げている!」と強く感じました。
そしてこのアルバム自体が森さんに捧げられていたのでした。
愛おしく思う気持ち、まだまだ一緒に仕事をしたかった思い、病魔と戦い抜いたソウルメイトへの労わり、肉体では会うことが出来ないけれど、スピリッツは常に繋がっているという確信など、言葉では表しきれない愛とリスペクトが美しく強い旋律に込められていました。
コンサートが終わって、ロビーで真砂さんに「環は森さんに捧げた曲だと思いました」とお話したら、分かったんだねという顔をされ、「祈ってくれてありがとう」と言って下さり、気持ちを共有できて私はまるで生まれたての心に戻ったような気がしました。

音楽の好みは本当に人それぞれで、聴き方、受け取り方も様々で、どれが正解なんていうこともなく、ただ、真砂さんウォンさんのように地球意識を持ったアーティストが自然と共鳴して真実の音を奏でていることを多くの方に知っていただきたいと思いました。
お二人のHPも是非、訪ねてくださいね。
私自身、このような音楽と繋がっていれば大丈夫だな、自分らしさを見失わずにブレることがないなと思っています。
今年に入り、慣れないことをいっぱいやって、ものすごく忙しかったりして、お二人の音楽を聴いたら、心が堅くなっていたんだなと気がつきました。ゆっくりと心のひだが柔らかく潤ってくるのが分かります。「本当はこの世界にずっといたいけれど、今、置かれているところでやることをやろう。それでまた疲れたら、この音の世界に帰ろう、ウォンさん、真砂さんに会いに来よう」と自分に約束しました。

おーちゃんもなみさんも結花ちゃんも亜也子ちゃんもみんな、幸せそうな満たされた顔で客席を後にしました。
「良かったね~。光をいっぱいもらっちゃったみたいだね」と同じ感想があふれます。そして彼女たちが口には出さなくても、ちゃんと祈りを捧げていたことも澄んだ瞳に映っていました。

会場の外へ出たら、あと少しで満月になる月が降るような銀の光で迎えてくれました。
生きている人も肉体を持たなくなった人も、繰り返される輪廻の中でやがて光となり、大いなる宇宙とひとつになって、この世もあの世も照らしていくのだなと、ふっとそんなことを無垢な夏の一日の終わりに思ったのでした。

2010年6月26日 (土)

No34.愛こそすべて

Photo_6 前回の「No33.純愛~たった一つの愛を貫いて」では、片岡慎介さんのご家庭での姿を通し、パートナーを愛することについてお話させていただきました。
そうしたところ、女性陣からは「羨ましい~!」、男性陣からは「耳が痛い!」との声が多数寄せられました(笑)。
片岡さんの著書を出版されている(株)ビジネス社さんからは、「是非、わが社のサイトにも載せさせてください」とのお申し出をいただき、片岡さんの純愛が多くの方の知るところとなりました。

http://www.business-sha.co.jp/content/column_129.html

そこで今回はもう一度、この純愛について皆さんとご一緒に考えてみたいと思います。

*過去を語っても痛みがなければ、もう大丈夫
すでに私の著書「Pure heart ~ 桜の木が教えてくれたこと」をお読みになられた方は、かつて私がいかに愛を渇望していたかご存知のことと思います。
……もう20年ほど前のことですが、仕事の先輩のお宅に遊びに行った時、小学生のお子さん二人が温かな家庭で育てられているのを見て、いい年をした大人の自分が、「こんな風に子供時代を過ごしたかった……」と泣き顔で帰路に着いたことがありました。両親の愛に包まれて安心して暮らしている先輩のお子さんが羨ましくて仕方がなかったのです。
時が経ち、私は自分の生い立ちを書いても“痛み”が無いまでに心が成熟しましたが、もっと以前に片岡さんのご家庭での愛の姿を聞いていたら、辛くて、切なくて、羨ましくて仕方がなかったことでしょう。
奥様とのラブストーリーを伺って、「こんな風に人を愛しぬけるなんて本当にスゴイ!」と只々、感嘆するのみでした。この時、まるでリトマス試験紙のようにハッキリと「私はもう大丈夫」と、自分の心の中に“合格”のスタンプが押されたように思いました。
家族愛であれ恋愛であれ友情であれ、誰もが愛や情で悩みます。時には大きく心傷ついて人間不信になったり、トラウマになることもあるでしょう。
私の場合は……乳児期に原因があったのです。

*愛されることすら恐れていた
それは富士聖地にある“ピラミッド”と呼ばれる強力なパワースペースに初めて入って瞑想した時のことでした。
このピラミッドの中では、自分の内奥を見つめ、静かに本心(真我)と対峙していきます。自らに問いかけ、神意識の自分からの答えを受け取るのです。
この時私は「自分はどうしてこんなに愛を求めてしまうのか」と問いかけました。
そうしたところ、「お前は愛されることすら恐れていた」と、思わぬ答えが響いてきたのでした。
同時に泣いている赤ん坊の私のビジョンが見えました。「あんなに私を愛してくれていたお母さんすら、私を捨てて去って行ってしまった。愛されてもいずれ人は私から去っていくのだ」と。
俯瞰して見ている私に痛みや悲しみはありません。ただ、「あぁ、そうだったのか、可哀想に」と慈愛のまなざしを持って、赤ちゃんの私を見つめていました。トラウマの大元がここにあったのです。赤ちゃんは何も分からないと思うのは大間違いだったのです。
どうして親が離婚することになったのか、私を置いていく母の気持ちはどうだったのか……。赤ん坊の私は知る由もありません。ただ、「自分は捨てられた」という赤ん坊なりの事実があり、深い心の傷となって潜在意識の奥深くに仕舞い込まれていったのでしょう。
私のクリアすべき人生のテーマが「愛を恐れない」であることを、乳児の段階で小さな掌に受け取ったのです。
そしてそれはダイヤモンドの原石であったと言ってよいでしょう。

*本来あるべき姿の愛の完成形とは
今年に入り、親友のお嬢さんから恋愛の相談を受けました。生まれた時から知っているので話しやすかったのと、問題点を明確にして、励まして、安心材料を言ってくれるのが心強かったのかもしれません。
しかし正直なところ、「え~、私にこれを聴くの~」と……。残念なことに私はあまり恋愛の体験数が豊富ではないのです(笑)。
詳しい内容はさておき、「相手の男性を尊敬する思いがあれば、恋愛でも結婚でも長続きするよ」とアドバイスをしました。25歳になる彼女は「今までそんな風に男の人を見たことはなかった。尊敬できる人かどうかで、好きな人を選ぶ基準が変わるね」と失恋の痛みをこらえながら、少しだけ前を向く気持ちを見せてくれました。
きっとこの先、彼女の良いところも悪いところも丸ごと受け入れて愛してくれる、誠実な男性が現われることでしょう。彼女がお嫁に行くときは、親友と一緒に泣いちゃうだろうなと思います。

 誰もが全身全霊で愛されたい、心から人を愛したいと願います。それはどちらかが服従するような形でもなければ、依存するようなものではないと思うのです。
心の底から願うのは、信頼と誠実さを根底にした無条件の愛です。
片岡慎介さんと奥様の愛は、まさにこれだったと思うのです。一日に何度も「愛してる。ママも口に出して愛してるって言って」というのは、強制でもなければ、愛を懇願しているのでもなかったのです。いつも「愛してる」と言ってもらわなければ不安でしょうがないというのとは大きく違うのですね。
日常的に愛の言葉を満たされた心で交し合っていらっしゃった。片岡さんご夫妻は、無償の愛を体現していたと思うのです。
魂のソウルメイトとして、今生でのベストパートナーとしてお互いを尊重していた……。理想的な、本来あるべき姿の愛の完成形といってもいいでしょう。

*100通りの愛のドラマ
このような愛の姿は、普通の人にはなかなか真似出来ることではありません。みんな愛に悩み、傷つき、その痛みの体験を抱えながら、学び、成長していきます。中には演歌の世界のようなドロドロの愛憎を体験される方もいることでしょう。
私は片岡慎介さんのような愛し方をしてくれる人を求めていました。猫可愛がりされたかった(苦笑)。このような愛に包まれて、傷ついた心を癒し、安心して生きていきたいと切望していました。
ですが、神様はそのような人をお与えにはならなかった(主人が良くないということではありませんよ、念のため・笑)。私の場合、そのように愛してくれる人と一緒にいたら、おそらく今の私はなかったでしょう。
依存して、甘えて、優しい繭の中から出ようとせず……。そう思うとあらゆる意味で、自分にふさわしいパートナーはある程度、決まっているのかもと思いますね。
よく夫婦は「業の消しあい」と言われます。マルカンの社長・斉藤一人さんは、「夫婦はご修行です。比叡山の修行の方がよっぽど楽!」と言っています(笑)。
そうやって、相手を赦し、受け入れて、愛を成就させていくのでしょう。
100人いれば100通りの愛のドラマがあります。
見返りを求めず、ひたすらに尽くす愛の方もいることでしょう。健全な環境で育ち、愛されて伸びやかに成長された方は、陰りの心がなく、その存在自体が光であり、人々の希望になるでしょう。辛い経験をされた方は、その分、他者への愛が深くなることでしょう。
恋愛という愛だけではなく、人を、生き物を、すべての命を愛おしいと思う気持ちで心が満たされていたら、それは至福といえるのだと思います。

どれだけ愛の心を育み、愛を体現して、この世を生き抜けたか。愛深い私であったか。
この軸だけはブレないようにと心に誓って、いくつもの季節を通り過ぎてきました。
かつて瞑想した時に、内なる神に「私はどのような存在ですか」と問うたとき、「お前は愛おしい存在なのだよ」というメッセージを受け取りました。
誰もが目には見えない世界からも愛されていたのでした。
愛する喜び、愛される喜び……。すべての本質は、愛そのもの、愛こそすべてです。
幸せになることを自分に赦してあげましょう。
世界が愛に満ちていきますように。