心の持つチカラ

2011年2月18日 (金)

No48.内在する無限なる感性~ラブ&ピース・リーディング 

Fairy2_2
昨年9月から正式に「ラブ&ピース リーディング~武田はるか朗読教室」を開催して、早や半年になります。
そこで今回は参加された皆さんの朗読を聴いて気づいたことや感激したことなどのお話させていただきますね。
教える立場の私が皆さんから教わることが多く、私たちの内にある無限の可能性や豊かな感性に驚くばかりです。

*音楽の力を借りて花開く感性
私はこれまでナレーションやDJをしてきて、音楽のチカラのすごさを実感しています。
音楽によって読み方が変るのは当然ですが、音楽の持つチカラによって感性の扉が瞬時に開いていくのです。
たまに開催する朗読ライブも言葉と音楽の一体感をお客さまに楽しんでいただいてきました。
音霊、言霊がひとつになると作品の想いが聴く方の心の奥深くに届き、色鮮やかな情景が広がります。
そこでこんな楽しいことは是非、皆さんにも体験していただきたいと思い、始めたのが「ラブ&ピース リーディング~武田はるか朗読教室」です。
この朗読教室は今までの既成の朗読教室とは全く違い、たった10分ほどの間にガラッと読み方が変り、その方の持っている豊かな感性が花開くのです。
その魔法のような方法は、先ほどからお話している音楽のチカラのワンプッシュです。

私も今まで長い間、ナレーションの勉強やお芝居の勉強の中でセリフを体得したり朗読の訓練を積んだりして来ました。
特に朗読の練習は地道で、長い時間をかけて技術を研鑽し表現力を身につけていきます。
うまく読めない自分にいらだったりもします。楽しいと言うよりも修行です。
プロのナレーターを目指しているのならば別ですが、カルチャーとして学ぶのであるならば、楽しくて上達が早い方が良いと思うのですね。
私が提唱しているのは、上手く読めることではなくて、自分の中に豊かな感性があるということを感じていただきたい、自分にしか読めない読み方を体験していただきたいと言う事でした。つまり、「私は私でいい」ということです。

*オンリーワンの表現になる
実際にどのようなレッスンしているかというと、参加者の方にはご自分が読みたいラブ&ピースな作品をお持ちいただき、お持ちでない方にはこちらで用意してあるたくさんの原稿から好きなものを選び、読んでいただきます。ひとりひとり読む作品が違うのですね。

同じ原稿を3回読んでいただくのですが、一回目は、その方の思うように読んでもらい、私がその読み方の良かった所の感想を言い、「今度はこんな感覚で読んでみてください」と言って、2回目を読んでもらいます。
つまり1回目が悪いのではなく、「それはその方らしい良さの読み方で成立しているので、今度は別の表現もしてみましょう」と提案し、表現の引き出しを増やすのです。
朗読の指導は普通、細かい注文が多いのですが、私の場合は大雑把で、「森の中を実際に歩いている感じで」とか「皆さん、ではなく、目の前にいるたった一人の人に話しかけている感じ」とか「笑顔で」「真顔で」とか「自分の体がう~んと大きくなった感じ」といった具合にレクチャーします。
そうすると2回目の読み方は前とはかなり変化しています。その変化を他の参加者の方は耳で感じ取り、ひとりずつ感想を言っていただきます。
決して足りないところを指摘するのではなく、良い所の感想を言うのです。
これは聴いている人の耳を鍛えます。聴く耳が良くなると読みも上手くなり、何よりも人への優しさや愛の心が深くなるのです。
良い所を伝えるというのは愛の心でなければ出来ないのですね。
そうして3回目。私がその作品に合った音楽をその場で選曲して、その音楽に乗せて読んでいただきます。
するとガラッと変るのです!まるでテレビから流れてくるようなナレーションになるのです。大げさに言っているのではなく、本当にそうなるのです。
音楽と言葉が共鳴して読み手の感性を開き、一気に深い表現できるのですね。しかもそれはその人にしか出来ない表現で、オンリーワンなのです。
その変りようにみんなが驚き、感動し、時にはみんなで涙を流して「すごい、すごい!」と連発しています。私もビックリして感動して、みんなと一緒に泣いています(笑)
不思議なことですが、同じ原稿を他の人が読むと雰囲気も変るので選曲も変わるのです。

普通、このように大きな進歩が見られるには、かなりのレッスン時間が掛かります。でも音楽のチカラによって、自分の内部で共鳴が起こり、感性が一気に花開くのです。
それは本来、その人自身が持っている素晴らしいチカラなのです。
心が動けば声も表現も変るのですね。

*訛っていてもいいじゃない
アクセントや文脈やセンテンス、スピードなど、読む上で気をつけることはたくさんあるのですが、それよりも自分の中にあふれるほど豊かな感性がある、美しい感受性があることを知っていただきたい、体験していただきたいと思っています。
なかにはお国言葉、つまり標準語ではない方もいらっしゃいます。そのような方の場合は、アクセントを直すよりも、生まれ育った土地のイントネーション全開で読んでいただきます。そうすると何ともいえない温かかみのある朗読作品になるのです。
これは私には出来ないことで、その方にしか読めない読み方なのですね。訛りがあってもいいのです。なまじ方言を直そうとするから変になってしまう。その方が持っている特性を伸ばせば良いのですね。
また他の朗読教室で「ちゃんと読まなければいけない」と指導されてきた方は、このレッスンで「楽しんで読んでいいんですね。型にはまらなくていいんですね。読むのがすごく楽になりました」とおっしゃってくださいました。

*読む人の人間性、愛の深さが滲み出る
「ねばならない」というやり方がどれだけ人の自由性を奪っていることか……。
もちろん基礎や真面目に取り組むことは大事ですが、楽しく、自分を認めて、やっていくうちに必要なことは自然と身につくのですね。知らず知らずのうちにバランスが取れてくるのです。
この朗読教室は技術の指導ではなく、本人も気づいていなかった自分の良さを引き出すレクチャーといった方がいいかもしれません。
「思ったことが上手くいえなくて」という方の、ぽつぽつとした語りは胸に響き、目読だけでは分からなかったその作品の深みや言葉に込められた意味が、その方が読んでくださったことで初めて分かり、みんなが泣きます。
上手い、下手ではないのですね。その方の人間性、愛の深さが朗読に滲み出ているのです。
人間って本当にすごいなぁと、毎回、気づかせていただいています。
教える立場ではありますが、むしろ私のほうが教えていただいている気がします。

さて、この朗読教室をやっていて私は何が一番大変かというと、今、その方が読んでいる作品に一番ピッタンコな音楽をその場で決めることです(笑)。
みなさん、一様に「はるかさんがどんな音楽をつけてくれるのか楽しみ~」とおっしゃっています。ありがたいことです~。
自分が楽しくて始めたことがみなさんに喜んでいただいている。こんなに幸せなことはありません。どうぞ一度ご体験下さい。目からウロコのレッスンです。

2010年5月14日 (金)

No32.苦手な人とのつきあい方

新年度に入って一ヶ月が経ち、そろそろ新しい環境にも慣れ始めているころでしょうか。
新しい職場、新しいクラス、新しい生活……。少しだけ周囲を見回す余裕も出てきますね。
新しい環境であれ、変わらぬ日常であれ、人間関係は切っても切れないもの。
そこで今回は自分の周囲にいる人で「どうも苦手なのよね」という人とのつきあい方について、ご一緒に考えてみたいと思います。

Photo_6 *自分には苦手でも、その人を愛している人がいる
今回は超ハードルの高いテーマを選び、自分でも「大丈夫かしらん」という感じです。
世の中には「嫌いな人と上手くやる方法」という類の本がいっぱい出版されていて、私も今まで何冊か読んだのですが、それで好きになれたか、苦手だと思う気持ちはなくなったかというと……。
「苦手」とひと口に言っても、肌が合わない、生理的にダメ、相性が悪い、考え方が違う、仕事のやり方や主義主張が折り合えない。または先方にひどく傷つけられて、顔も見たくないなどなど。苦手どころか大嫌いのレベルの人もいることでしょう。

私も情けないことに一緒にいると体が拒否反応を起こして鼻炎アレルギーが出てしまうほど苦手な人がいます(苦笑)。良い所も分かっているのだけど、理性で受け入れようとしても体が拒絶反応をする……。悲しくなりますね。またそういう人に限って、一緒に仕事をすることになる……。これは「ここでクリアしなさいよ」というサインなのだなと、向き合う覚悟を決めたりします。
自分の心をよく見つめると、案外、「プライドを傷つけられた」とか「自分のエゴ」だったり……。
それでも自分を愛するにつれ、他者と温かな人間関係が築けることは、この「ピュアハート」で何度も書いたように、自他共に愛する心が深まるに連れ、人に対してのネガティブな感情が確実に減るのです。
誰にでも「ちょっと苦手だな」という人はいますよね。仕事や人との付き合い方でも「それはないんじゃないの~」と思う人に対しては、苦手や嫌いというより「う~ん、困ったものだな」と思うのではないでしょうか。
この苦手意識や困ったなという気持をフォーカスしていくと「あの人、大嫌い」になっちゃうのですね。

たとえて言うならば、真っ白いキャンバスに一ヶ所、小さい黒い汚れがある。その汚れが気になってそこばかり見ていると、全体の99%の真っ白いところが見えなくなってしまう。心のエネルギーをその黒い汚れだけに注いでしまっていて、あたかもキャンパス全体が黒く汚れているように見える……。これを人に置き換えてみればよく分かりますよね。
私は以前、某放送局で番組をご一緒していた方から、初対面の瞬間から色々注文をつけられ、かなり苦労したことがありました。お互いの信用や信頼が築かれる前から「鉄は熱いうちに打て」とばかりに、私本人を見ずに「今の若い人を指導する。自分に対して全てYESと言わせる」……。

果てしなく続く“ご指導”に落ち込んでいる私に「君が悪いわけじゃないよ。あの先生は誰に対してもそうなんだ」とスタッフさんがなぐさめてくれたことがありました。
「たとえそうであれ、私が外で人様からこんな風に言われているのを親が見たら、情けない想いをするだろうな」。私はその時、そう思いました。
以来、「この人、イヤだな」と思ったときは、「この人を愛している人たちがいる。この人の素晴らしさを知っていて、大切に思っている人がいる。私がまだそれに気づいていないだけなのだ」と考えを改めるようにしました。そうすると「この人、嫌い」にはならないのですね。

*対処法
どこへ行っても好きな人ばかりに囲まれていると言うわけにはいかないもの。必ず苦手な人はいるのです。
それを無いものとするのではなく、「苦手なんだな」と自分の気持ちをいったん認めた上で、その人とは距離を置くようにします。その人の射程距離(波動圏)に入らない。深入りをしないということですが、挨拶だけは笑顔でちゃんとしましょう。
職場の人(学校)ならば、仕事なら仕事と割り切って、自分の心の奥に入れ込まないことです。ただし絶対に相手を無視したり、意地悪をしないことは天に誓いましょう。
そういうことをすれば、やがてそれは自分に返ってくるのですから。

「この人、嫌い、イヤ」と相手に意識を向けているのは、「この人、好き、好き」と思っているのと変わらないと思うのですね。そこに自分のエネルギーが向かっていて、相手と繋がっているのです。
だから緊急措置として苦手な相手とは距離を取っている内に、案外、その人の良いところが見えてきたり、気にならなくなってきたりするのです。
相手の嫌な面も含めて、受け入れることが出来るか。「あの人が変わればいいのに」ではなく、結局は自分の問題なのですね。これこそがご修行と言えるのでしょう。

「類は友を呼ぶ」とよく言われていますが、本当にその通りで、苦手な人に心のエネルギーを使って自分が疲弊してしまうのはもったいないですよね。そうしていると自分が暗くなって元気がなくなっちゃいませんか?
自分が好きな人、一緒にいて楽しい人、尊敬する人と繋がっている方がより早く自分の心がオープンになるのです。

素晴らしい人の波動圏にいることで、自分もそのようになっていくのです。そうしていく内に苦手だと思っていた人が気にならなくなるのですね。不思議でしょ。
キャンバスの白いところだけ見て、汚れた小さな個所に目が行かなくなるのです。
誰にでも欠点と見えるところはあるのですね。もちろん自分にも。それをそのまま受け入れられるようになったらどんなに楽になることでしょう。

*無理に好きにならなくてもいい
私のお友達でCさんという、齢八十を超えるステキなお姉さまがいます。
いつも綺麗に身を整え、瑞々しい感性で詩や紙芝居を書いて、みんなの心を明るくしていらっしゃいます。
私も年齢を重ねたら「こうありたい」と思うお手本の女性です。
そのCさんに以前、「あの人がどうしても嫌なの」と愚痴を聴いてもらったことがありました。そうしたところ、「はるかちゃん。そういう方は自分とは違う星から来たと思えばいいのよ」と教えてくださいました。
「あら、あなた様はプレアデスのご出身なのね。だから考え方や習慣が違うのですね」と。スケールが大きいですよね~。


そういう風に思えば、腹も立たないし、相手を受け入れることも出来ますよね。違いを受け入れると言うのは意外と厄介なテーマですが、こう思えばちょっとは気持ちが楽になりませんか?
無理に相手を好きになろうとしなくてもいいのではないかと思うのですね。何かで被害を受けているとかならば、ハッキリとNOを言わなければいけませんが(NOの言い方についてはNo.11&12をご参照下さい)、そうでないならば、そこに波動を合わせなくていいと思うのです。そうしている内に段々、気にならなくなるのではと思います。

嫌な人、苦手な人は自分を磨く良いチャンス、いつの日かそう思えるようになれたらいいですね。私も修行中です。
苦手な人も含めて世界がある……。
苦手な人を除いて、世界平和はありえないのです。


2010年1月15日 (金)

No27.心の持つチカラ(3)~想いのリバウンドを恐れない

Photo_10 心には不思議な作用があります。
特に新しい考え方を身につけ始めたときなど、ちょっとしたきっかけで元の慣れ親しんだ考え方に戻ろうとします。
リバウンドはダイエットばかりではありません。心にもリバウンドがあるのです。
心の持つチカラの3回目は、この想いのリバウンドを上手にやり過ごす方法をご一緒に考えてみましょう。
どんな寒さにも負けないよう、心も丈夫にしていきたいですね。
(09年04月25日付 No.9「言葉の持つ力(1)~宣言をすると願いが叶う~」で少しだけこのことについて触れていますので、こちらの方も目を通していただくとより分かりやすいかと思います。)

*想いのリバウンドとは……
これまたお恥ずかしい話ですが、私はダイエットをしては途中で挫折したりリバウンドを繰り返したりして、「またダメだぁ~」とヘコむことしきり。美味しいものに目がなく、どうにも強い意志が保てません(苦笑)。
しかもダイエットだけではなく、想いの方もリバウンドを繰り返すたびに、自分に自信が持てなくなったりしていました。
そのときは「想いにもリバウンドがある」という心の作用に気がついていなかったのです。
この想いのリバウンドとは、今まで自分がやってきたやり方や考え方、行動などを変えて、それに慣れ始めたときに、元に戻ろうとする心の持つチカラのひとつです。
特にネガティヴな思考からポジティブな思考へチェンジしたときに起こりやすいのですね。
「このことに気がついて良かった!」「これからこういう考え方で生きていけばいいのだ!」など新たな気づきによる言動、思考の方向性に感動して、それに添って生きはじめても、まだ古い習慣が心の奥に残っていることがあります。そしてそれは「ここに戻ってきて。こっちの方が慣れているから簡単でいいじゃない」と甘くささやくのです。

Photo_11 *手ごわい習慣
太陽のように明るく、使命感あふれるような新しい思考になったとき、私たちは元気ハツラツ、やる気満々。
日々、感謝して新しく生まれ変わったような自分が誇らしくさえあります。
それがそのまま持続できれば良いのですが、時として以前の自分の解決方法に戻ってしまうことがあります。
それは自分にとって苦手なことや特に辛いことが起こると、まるで振り子の原理のように元に戻ろうとするのです。
私の場合は自分を責めたり、必要以上に我慢をしたり、自分は悪くないのに謝ったり……。これが古いパターンでした。長年そういう対処をしてきたので、“イヤだけど”そのほうが慣れているから楽なのです。不思議でしょ。イヤなのに元の思考回路、行動様式に戻ろうとするなんて。
例えて言うならば、嫌なことがあったときお酒を飲んでそれを忘れる。これが古いパターン。新しいパターンは嫌なことがあったときは、バッティングセンターに行ってガツンと体を動かしたり、瞑想して心を静めたりする。
そうやって新しいパターンに慣れてきたときに特に辛いことが起こると、つい、古いパターンで対応してしまうことがあるのです。
このほうが長年、やってきた自分の対応の仕方なので慣れているのですね。いやだけど楽で早いのです。ある意味、変な安心感とでも言うのでしょうか。
この“慣れ”というのが手ごわいのです。これが心の持つ特性のひとつと言えましょう。

*続けていくうちに戻り幅が小さくなる
そこで古い習慣に戻ろうとする自分をグッとこらえて、戻らないよう踏ん張ってみる。
あるいはサーフィンのように波に逆らわず、波をやり過ごすのも手ですね。
言うは易しかもしれませんが、あきらめないで繰り返す内に古い習慣より新しい習慣の体験が多くなり戻りにくくなるのです。
ここで問題なのは、古い思考回路、習慣に戻ったときどうするかです。
私の場合は、「またやっちゃった」と自分を責めたのです。自己嫌悪になり、「やっぱり自分はダメだ、変われない」と落ち込んでしまうのでした。
それでも落ち込みながらも立ち上がって、新しいポジティブな考え方、行動に取り組んでいったのです。「もうリバウンドは無いな」と思うまで何年もかかりました。自分でも良くがんばったと思います(笑)。
大事なことは、ネガティブな方へ元に戻っても自分を責めず、それを許して、もう一度始めればいいのです。
戻りかけたとき「あっ、リバウンドだ!」と思えれば、しめたもの。続けていくうちにリバウンドの戻り幅が確実に小さくなっていきます。だから絶対に大丈夫ですよ。
「大丈夫、大丈夫。必ず良くなるから絶対に大丈夫」と呪文のように言っているうちに、心はその言葉に従ってきます。これが言葉の持つチカラです。言葉のチカラも使って、もっと楽に、楽しく、本来の輝いた自分でいましょう。

すぐに変われない自分を責めても可愛そうです。それほど長年、身についた習慣、思考パターンを変えるのは根気が要ることなのですね。
新しい変化にはリバウンドもあるということを知っておくだけで、ずいぶん違うと思いますよ。
何度でもやり直せばいいのです。そうやって温かな陽だまりのような心を育んでいって、居心地の良い自分になりましょう。もっともっと幸せになりましょう。
私たちは幸せになるために生まれてきたのですから。

2010年1月 1日 (金)

No26.今日という日の奇跡

皆さんはどんなとき、幸せを感じますか?
凪いだ海のような平凡な日々に、「退屈だなぁ」なんて思わずつぶやいたりしますか?
私もさほど変化がない日常が続くと、「友達を誘ってランチでもしようかな」なんて思うことがありますね~。
ごく当たり前の「淡い幸せ」とでもいうのでしょうか。今回はこのことについてお話させていただきますね。
みなさんも一緒に考えていただけると嬉しいです。

Photo_12 *ささやかな幸せをかみしめるのは……。
お誕生日や結婚記念日、旅行のプラン、仲間との飲み会、初めてのデートetc。
スケジュール帳に楽しい予定が入っているのは嬉しいものですよね。ドキドキワクワクしながら「あ~、明日だぁ」なんて心弾ませる。「毎日がクリスマスだったらいいのに」とテレビドラマで聞いたようなセリフにうなずきながら、ホントにそうだったらけっこう大変かもと思ったりして(笑)。
さて、なにも起こらない平凡な日々。これがどれだけ幸せなことか、世の賢人たちはこぞってそう言いますね。
私も賢人じゃあございませんが、やっぱりそう思います。
当たり前のことが当たり前に出来る幸せというのは、それが出来なくなったとき、初めて実感するのでしょう。
いるべき人がいなくなった、あるべきものがなくなった、青天のへきれき……。
たった一言で人生が大きく変わることがあります。たったひとつの出来事や人との出会いで、今までの平凡な暮らしがひっくり返ることがありますよね。
もちろん、嬉しい出来事なら大歓迎!でも当たり前のささやかな幸せをかみしめるのは、悲しいことにそれを失ったときに味わうことが多いようです。

*当たり前のことが出来る幸せ
私も割と起伏の多い人生を歩んできましたので、おだやかな変わりばえしない毎日がとてもありがたく感じます。
ただ、当たり前に出来ていたことが出来なくなると、「それが出来ていたときに、どうしてもっと感謝していなかったのだろう」と思ってしまったことも。
私のトホホな話ではありますが、健康に関しては特にそうです。

一昨々年くらいからでしょうか。なんとなく腰と股関節に違和感を持っていたのですが、一昨年の夏、痛みがひどくて歩けなくなったことがありました。

1メートル歩くのに2分くらいかかり、3ヶ月間、ほとんど家を出られずベッドに横になっているという日々が続きました。
また昨年の初めには気管支喘息を発症し、度重なる発作で「もう死んじゃうかも~」と思ったことも(苦笑)。職業柄、声を使いすぎて声帯を痛めたり、アレルギーや副鼻腔炎などなど。決して病気自慢をしているわけではありません。
歩けなくなると歩ける幸せを、呼吸が苦しいと息ができる幸せを、声が出る幸せ、鼻から空気が吸える幸せ……。

それらのありがたさをかみしめます。お陰様でずいぶん回復しましたがいくらか炎症がまだ残り、薬の副作用もあったりますが、それも全部受け入れて、いま、ここに生かされている幸せに感謝しながら過ごしています。

*淡い幸せを喜びと思える力
というのも以前、かなり喉の調子が悪く、思いっきりヘコんでいた時期に、柔道の田村(谷)亮子選手の姿を見て、「あんなに負傷だらけの、ボロボロの体で金メダルを取りに行ってるじゃない!スゴイ!」と気がついたのです。

他のアスリートもしかり。必ずしも万全な体で競技に臨んでいたわけではなかったのです。
ダメージがなかったらどんなに楽にメダルを捕りに行けたか、楽にストライスクを取れて勝利できたか。歯がゆさを闘志に変えて戦っている姿に教えられました。
以来、「痛みは痛みとして、この体で勝負していこう」と決めてから、とても気が楽になりました。
私の場合は無理に無理を重ね、ストレスも溜めまくり、体の声を聴かずに突っ走ってきたから起こるべくして起こったのでしょう。

不具合が出て初めてそのありがたさを知るなんてお恥ずかしい限りですが、自分の状態を受け入れて、体に感謝出来るようになれたのは本当に良かったなと思います。
“折り合いをつける”というのは大事なことなのですね。

「分かってはいるけど、なかなか出来ない」という方は、まず、良い言葉を使うことからはじめてみてはいかがでしょうか。健康面では体に感謝の言葉をかけると、回復が早いみたいだなと感じることがありましたよ。
温かい言葉を人にも自分にも、そして花や動物やお天気や文房具などの物にもかけていく……。そうすると自然と自分を大切に思う気持ちが深くなり、同時に周囲を大切に思う気持ちも深まり、「淡い幸せ」を喜びと思える力がつくのでしょう。私はそうやって少しづつ成長してきたように思います。

Photo_13 *この瞬間がいとおしい
急に仕事がなくなって住むところも失った、大切な人を亡くした、病気になった、天災で被害を受けた、事故や事件に……。どれも望んで体験したいものではありません。
だからこそ、家族が今日も事故にもあわず無事に家に帰ってきた。それだけで嬉しいのです。今日も一緒に晩ご飯を食べた、仕事が出来た、今年も年賀状を出すことが出来たetc。

タレントの佐藤江梨子さんは幼い頃、阪神淡路大震災で親友を失ったそうです。それ以来、佐藤さんは「バイバイ。さよなら」は言わないとか。

「だって、ほんとに会えなくなっちゃうような気がするから。別れるときは、またね、と言います」とおっしゃっていました。その気持ち、分かりますよね。

私も今この瞬間をとてもいとおしく思いながら暮らしています。
我が家ではウサギを飼っているのですが、ウサギの寿命は犬猫より短いので、早晩、別れるときが来ます。

だからやんちゃに駆け回って、餌をバクバク食べている姿がいとおしい。いたずらをしても可愛い(笑)。親ももちろん、順番からいったら先に天へと帰ります。だから会うごとに笑顔を見られるようにしたい。
家族とテレビを見ながら大笑いしたり、「寒いね」「これ、美味しいね」と言ったり、夫婦ゲンカや友達とケンカしたり仲直りしたり。仕事から帰って「あ~、疲れたぁ」とご飯を食べる気力もないほどくたびれていたり。

それでもそれが出来ることが幸せなのです。命が輝いているのです。
いいお天気でお布団がフカフカになって、お日様のにおいがするのも幸せ。家族がコンビニでプリンをおみやげに買ってきてくれたのも幸せ。時折、聞こえる電車の音に耳を傾け、お茶を飲んで、ぼぉ~とするひとときも本当に幸せな時間です。
たわいもない日常の生活が温かな光に満ちていて、夜、眠るとき「今日という日は、奇跡だな」と思うのです。

「隣の芝生は青い」と言われるように、周りはみんな幸せそうに見えたりしますが、誰もが言わないだけで悩みや悲しみを抱えて生きています。


私も大人になってから経済的に困窮したり、大切な人を亡くしたり、体が弱ったり、夢になかなか手が届かなかったり、愛を疑ったり……と様々な経験をしましたが、それら全てに意味があり、心を丈夫にして愛が深くなるためのプロセスだったのだなぁと気づかせてもらいました。

すべては移ろい、消えていく……。生々滅々、すべては生まれて滅し生まれて滅しを繰り返し進化していきます。
これは宇宙の摂理、法則です。だからこそ何事もなかった平凡な一日にありがとうの心が深くなります。
そしてなにかあってもそれを乗り越えていけるだけの力があるからこそ、課題として受け持ったのではないでしょうか。


辛いものとして受け取ったものも、それを学びと愛と祈りに昇華したとき、辛いものは泥の塊ではなく、ダイヤモンドだったと気づくのでしょう。
なによりも私たちの存在自体が奇跡そのものなのですから。

2009年12月 2日 (水)

No24.人には愛の言葉しか通じない

今回は言葉と心の両方のチカラのお話になります。
「叱ったり叱られたり」がテーマと言えそうです。立場によってはやらなきゃいけないことですが、いづれにしても気が重いですよね。出来ることなら注意などしたくはないし、されたくない……。
みんなが経験するこのことについてお話させていただきますね。

Photo_16 *No1にも書いたのですが
これまたお恥ずかしい話ですが、私は「人を叱る」というのが苦手です。もちろん叱られたら落ち込みます。
そんな私が語ってしまうわけですが、皆さん、ついてきてくださいね(笑)。
さて、この「人を叱る」については、このピュアハート第一回目に少しだけ触れています。下記、No1からの抜粋です。
『あるとき、私の役目ではなかったものの、あるスタッフの上司に頼まれてどうしてもそのスタッフに注意をしなければならなくなりました。

人を叱るなんて生まれて初めての経験でした。その結果、学んだ事は「人には愛の言葉しか通じない」ということでした。以来、私はどんなに正論であっても、間違いを指摘し人を責めるような話し方をしてはいけないと心に誓いました。とても痛い教訓です』。いうなればコレが結論です。ここで終わってしまっては早すぎるので、ちゃんと書きますね(笑)。

*叱るのも愛
誰もが優しい言葉だけで職場や家庭を円満に保っていけたら……。そう願います。ただ上司という立場や親や指導者であったりすると、なかなか優しい顔ばかりしていられません。時には大声で怒鳴ることもあるでしょうし、子供が命に関わるような危ないことをしたら、ほっぺを叩きながら怒ることでしょう


しつけとして、また社会人のマナーや仕事上のルールとして、いけないことはいけないと教えなきゃならないときがある。これは相手に良くなって欲しいという愛の心です。
私も上記の一件で「何でこんなことする羽目になっちゃったんだろう~」と思いながら人を叱ったとき、叱る人も心が痛むのだと知りました。
憎まれ役を引き受けた立場の方は「こんなこと言わせるなよなぁ」ってところ、ありますからね。
叱られた人は、叱ってくれた人も辛いのだということが分かってくると、一歩、大人になるのかもしれません。

*叱るとき心がけたこと
さて、人を叱ることに慣れていない私は、相手を責めていたのです。人格を非難したのではなく、横のものは横に置くといったレベルの仕事上のルールの問題だったのですが、相手のお嬢さんは自分の人格の領域に問題を持ち込み「私は悪くない。私ばかり責めないでください」となってしまったのでした。

責められれば防御します。分かり合おうという共通の意識で話すことがお互いに出来ていなかった……。私の稚拙な叱り方の結果です。これは心の中で長い時間後を引くとても苦く痛い経験でした。

今ならば少しは分かるのですね。あのとき、「これは困る。これはしちゃいけない」という否定的な言い方だけではなく、「こうしたら良くなるよ。だからこうしようね」という言い方をすれば、お互いに必要以上に傷つかず、状況を改善できていたのではと思うのです。

問題を改善するための具体的な方法をポジティブに示すこと。これが大事だったのです。
唯一、私が叱るときに心がけたことは、「今回、問題となったそのことだけを叱る」ということでした。
あれもこれも叱らない。つい言いたくなっちゃって、「あの時もそうだったでしょ」とか「あんなこともやったじゃない」と過去を持ち出して、叱る材料を増やすことは絶対にしないと決めて行ったのです。
そうしないと「じゃああのとき、言ってくれたらいいじゃないですか!」と、なっちゃいますよね。どんどんエスカレートしていき、感情的になりケンカになってしまう。そうなることは望んでいないのですから。
私も昔、母に「あのときもそうだった」と言われるのが嫌でした(笑)。

*叱られたときは
私は今年の夏の終わりに、妹のように思っている年若い女性に注意、というかアドバイスをしました。愛の心を持って「こうした方がいいよ」と言ったのですが残念ながら……。ただいつか時がくれば分かるのだろうなと思っています。

Photo_17 愛の心、愛の言葉を持ってしても通じないときは、その人がそのことを受け入れられる時期ではなかったのかもしれません。
あるいはご縁の深さも関係しているのでしょう。何故かとても親しい気持ちが湧く人、前世で姉妹だったのでは、なんて思うような人から言われたときは、たとえ厳しく言われても受け入れられるのではと思うのです。

感情のはけ口や気分ではなく、本気で叱ってくれる人がいることは幸せです。自分を正し、考える機会をいただけるからです。そのように叱ってくれる人はちゃんと見ていて、自分が変わったときは褒めてくれるのですね。
昔は近所におっかないおじさんやおばさんがいて、子供たちに目を光らせてくれていたものです。
今はそういう人も少なくなってしまった。残念なことです。

人からアドバイスや注意を受けたとき、自分のやり方、主義主張もあることでしょう。ただ、時には素直に苦言にも耳を傾ける姿勢を持ちたいものです。
素直だけが取り柄の私は多くの目上の方に可愛がられてきたように思います。つまりそれくらいお叱りを受けてきたってことです(笑)。

振り返ってみて「あぁ、あのときこんなことを言われたな」と思い出すことがあります。今なら言ってくださった先輩方の言葉の意味がよく分かります。
そのとき分からなくても、まるでタイマーが作動したように心に蘇り、「おっしゃるとおりでした!」と思うことがありますね。「親の小言と日本酒は後から効く」とも(笑)。「素晴らしい子なのだから、必ず良くなる。出来るようになる」。

そう信じて叱り、アドバイスをするのでしょう。
叱られたことは嫌なこと、無意味なことばかりではないのです。いつか時間が経って、心に響くことがある。私はそう信じています。

*たとえ正論であっても
ところが、当たっているだけに言われると痛いことってありますよね。自分でも分かっているのに、なかなか軌道修正が出来ない。そこを指摘されると返って反発してしまいます。
だからこそ、正しいことを言うときは少し控えめにする方がよいのだと思います。正しいことは時に相手を傷つけもするのです。これ、吉野弘の詞「祝婚歌」にも書かれていますよね。

たとえそれが正論であっても、相手を責め、追いつめるような言い方は逆効果で、相手の心を閉ざしてしまうことになりかねないと思うのです。
また置かれている立場によっては、この世の泥水を飲まなければいけない時もあります。正論だけでは生きていけない。正論だけでは人は救えないのです。

人の痛みが分かった上で、同じ目線で、「一緒に良くなっていこうね」と手をつないでいく気持ちが大事なのでしょう。私の痛い経験から得た教訓です。

*叱るのは、愛の思いがあるときだけ
「人には愛の言葉しか通じない」。本当にそう思います。私はあえて苦言を呈するときは、「たとえ相手から嫌われてもかまわない」と思えたときだけ言います。つまりそれだけ相手を愛しているのです。だからけっこう賭けです(笑)。
その点、肉親やパートナーはありがたいですね。ほんとのことを遠慮なく言ってくれますから。私も“家族ならば言うのに”というケースがずいぶんあります。

家族じゃなくても、スッキリ、サッパリ言えるようになったらいいなと思います。

本人すら気づいていないような良いところを見つけて、認めて、言葉にして本気で褒めていくと、人は速いスピードで成長するのだと思います。
自分は相手に受け入れられているという安心感によって、心を開いて、たとえ苦言であれ聞いてくれる決め手になるのでしょう。
そこには愛の心があるから相手に伝わるのです。
愛がないのに言うのは業としかいいようがない。
やはり愛こそすべてなのですね。

次回は「たとえどのような姿に見えようと」というテーマでお話させていただこうと思います。

2009年10月20日 (火)

No21.心の持つチカラ(2)~この指、止まれ

心の持つチカラの2回目です。
No19で「一ヶ月ほど毎日毎日、どうやって死のうかと考えていたのです。おそらく“類は友を呼ぶ”で、同じ想念を過剰に引き寄せてしまったのかもしれません。」と書きました。
そこで今回は、この「類は友を呼ぶ、同じ想念を過剰に引き寄せる」について掘り下げてお話させていただきますね。
心の持つチカラには磁石のような働きもあるのです。

Photo_37 *心で思っていることが気配として…
同じような趣味趣向であったり、同じような思考であったりすると、すぐに仲良くなったりしますね。お互いが分かり合えるので、一緒にいて居心地も良かったりします。
よく言う「気が合う、気が合わない」というのは、人間関係でも大事な要素。
ふと考えると同じような雰囲気、思考、方向性を持った友人が多かったりしますよね。
さて、この「気が合う、気が合わない」の“気”ってなんでしょうか。
これはその人が出している想念波動といってもいいでしょう。じゃあ波動って何?と。「なぜなぜ教室」になってしまいますが(笑)。
簡単に言うと、人間は心で思っていることが気配として、雰囲気として、体の外にうっすらと出ているのですね。
もちろんそれは顔つきにも表れてくるでしょうし、言葉遣いでも現われる……。
「感じがいいよね」「感じが悪いよね」なんて言うのは代表的な言い方ですね。
そんな風に傍目でも分かる心のエネルギーは、この空間にたくさん流れているのでしょう。

*この空間に流れているたくさんの想念
テレビやラジオ、電話などの電波と共に、この空気中にはたくさんの想念が流れています。
もちろん誰もが常に何かしら考え、思いを出していますよね。今、私は「これを早く書き上げて、アイスクリームを食べよう」なんて思っていますし(笑)。
さて、たまに、「えっ、私、何でこんなこと思ったの??」というようなことってありませんか?
以前、とても敏感で優しい女の子が同じような思いをして「こんなこと考えるなんて、私はひどい人間だ」と涙ぐんだことがありました。そのとき「そんなことないよ。きっと人ごみの中で誰かの思いをキャッチしちゃったんだよ」と慰めたことがありました。
またとても心が平安で祈り心の深い方とご一緒していると、自分まで清らかな気持ちになり、平和を祈る心が深くなったりします。
そんな風に心のエネルギーは周囲に影響を及ぼすのだと思います

Photo_21 *初めは小さな想いだったのに
さて、私がNo19で書いた「死にたい」と思ってしまったとき。これは「死にたいよ~」というアンテナを1本立てたのだと思います。最初はそんなに本気で願ったのではなかったと思います。ただ気がついたらその思いがものすごく膨らんでいたのでした。
その要素のひとつとして、そのとき住んでいた場所がかなりのエネルギースポットだったのです。家から徒歩5分以内に神社仏閣、修道院、神学校、密教系、お稲荷さん、救急病院etc…。軽く10箇所は越える数で、まるでスタンプ・ラリーができるようでした(笑)。
そういうエネルギーの密度の高い場所でピコンとアンテナを立ててしまったのです。しかもちょうどお祈りの会を初めてすぐの時です。
普段、元気な人が死にたいと思うなんて原因はひとつではなく、いくつものヘビーな要因が重なり、海が汚れ過ぎて自浄できなくなるのと同じく、一人では振り払いきれなくなるほどになってしまうからなのでしょう。私もそうでした。辛いことはそれまで何回も乗り越えてきたのに、間髪あけずに大波が次から次へとやって来る……。心身ともに疲れきってしまうのです。
そこで「もう死にたい」というアンテナをピコンと立てる。その想念に同じ想念・類がやって来るのです。
初めは小さな想いだったのに、同じような想いが“アンテナが出た”からドド~ッと寄ってきたのでしょう。類は友を呼ぶ。見えない世界、想念の世界では特にそうなのかもしれません。

*本気じゃない思いは早めに引っ込める
いつの間にか携帯電話のアンテナのように人の想念まで受けて、3本キッチリ思いのアンテナが立ったとき、気持ちがいっぱいいっぱいになってしまうのでしょう。だって人の分の思いまで受け取ってしまったのですから。
私のように死にたいという思いのアンテナを出したことは、まるで「死にたい人、この指止まれ!」と言っているのと同じだったのだと思います。
本気で望んでいないアンテナを出してしまったとき、ネガティブな思いを出してしまったときは、早めに引っ込めましょう。「今のウソ、ウソ」でもいいじゃないですか。
思いを早く切り替えて楽しいことを思う、好きなことをする、寝ちゃう、美味しいものを食べる、趣味に没頭する、などなど。
ときには心の強いポジティブな人に話を聞いてもらう。そのときすぐに出来ることをして、ネガティブなアンテナを引っ込めてしまいましょう。
心療内科で診察してもらい、カウンセリングを受けるのも心の風邪には効果がありますので、通院されるのも大切かと思います。
さらに、「絶対大丈夫」とか「私は光」という言葉を言うのも効果があると思いますよ。私は「世界人類が平和でありますように」が一番強い光が降りると思っています。

*人間の体は浄水器みたい
人間が想念を停止するというのは至難の技です。聖者の境地にまで至れば出来るのでしょうが、普通の人間には無理な話です。
心で思うこと、想念は出て当たり前なのですから、いえ、出るものなのですから、ネガティブなことを思ってしまった、マイナスな思いを出してしまったと自分を責めないことです。どんなアンテナを立ててしまっても、思いを出してしまっても、怖がらないことです。
なるべく早く明るい思いに切り替えられるよう、これも練習だと思えば気が楽になりますよね。
人間の体は浄水器に似ているのかもしれません。色んな思いを濾過(ろか)するのではないかなと思います。否定的な思いを感受したとしても、また自分が出したとしても、結果それらの思いを濾過して、きれいにして自分の周りに還元していくのではないでしょうか。
ただそれが分からないから、自分が悪い、苦しい、こんな思いが出て、と責めてしまうのかもしれません。たまたまご縁のあった人がそれをキャッチして浄化しているのではないでしょうか。良い思いも悪い思いもこの人間の肉体を通して、きれいにして世の中に送り出しているのでしょう。

Photo_20 *この指、止まれ
“この指”に何を止まらせるかは、その人の自由です。
なるべく明るいアンテナを、生きる希望のアンテナを立てて欲しいなと思います。
「ありがとう」と感謝の思いでいれば、さらに感謝の思いがその指に止まってくれるでしょう。植物にありがとうと思ったら、植物も「ありがとう」と美しいエネルギーを送り返してくれるでしょう。心にはこういうチカラもあるのですね。
切ない思いや悲しい出来事、辛かったり苦しかったりすることもある人生ですが、そんな思いを抱えながらも「ありがとう」というアンテナを小さくてもいいから立てていられたらいいなと思います。
そして何より平和を祈るアンテナを立て続けていきたいと私は思います。自分のこの指に何を止まらせるのか。これ、なんだかとても大切なことのように思います。

No19,20にどのようにして私が立ち直ったのかが書いてあります。お時間のあるときにでも読んでみてくださいね。
次回は「簡単に言えるごめんね。簡単に言えない大事なごめんね」についてお話しようと思います。

2009年8月 6日 (木)

No.16.それでも夢が叶わなかったときは……

前回は「心の持つチカラで夢を叶える」についてお話させていただきました。
そこで今回は「それでも夢が叶わなかったとき」についてお話させていただこうと思います。そんな縁起でもない、とか、ダメなことを考えちゃいけないんじゃないの?と思われるかもしれませんね。「絶対大丈夫じゃなかったの?」と。
確かにそうなんです。ただ、「実る時期」というのがあるのも本当です。皆さんも体験でおわかりですよね。
Photo_33 そこで、やるだけやったけど願いが叶わなかったとき、どう気持ちを収めたらいいのかについてお話させていただきますね。がっかりしっぱなしじゃあ残念です。こういうときこそがチャンスなのです。

*その夢は本当に欲しかったもの?
私も今までたくさんの失敗をしてきました。仕事だけではなく、言葉での失敗、人付き合いでの失敗…etc。もう穴があったら入りたいくらいです(苦笑)。そんな自分の経験から学んだことを、この「ピュアハート」で書かせていただいています。
言葉や心のチカラで「夢を叶えること」について書いていると、皆さんは私がいつも夢を叶えているとお思いになるでしょう。願うことがすべて叶って、成功して……。
ところが100%夢が叶っているわけではないのです。
成功ばかりじゃないのです(苦笑)。
「それじゃあ書いていることは嘘なの?」と言われると、そうではないのです。
子供がトレーニングパンツをつけてトイレを覚えたり、
歯磨きが上手になっていったりするのと同じなんですね。だからあきらめないこと、続けることがすごく大事なのです。
最終的に自分がどんな人間になりたいのか、どんな人生を歩んでゴールとしたいのか。
それに向けて、まず目の前の一歩を踏み出して、小さな成功体験を積んでいくのですね。
いきなり大きな成功を夢見ても、果てしなく時間がかかります。私がそうでした(苦笑)。
確かに運が味方してホームランをかっ飛ばすビギナーズラックもあるでしょう。でも続かなかったら一発屋で終わってしまいます。「思い出が出来ればいいや」であるならばいいですが、継続していく事がどれだけ大変か。
その先に本当の成功と呼ばれるものがあるのでしょう。
実力を伴った成功です。
私はこれを読んで下さっているあなたに成功体質になっていただきたいと思うのです。
そのために言葉のチカラを使い、心のチカラを使い、
行動に移して、習慣を変えて、人生を変えていけることを、これからも伝え続けていきたいと思っています。

Photo_31 *龍村監督が教えてくれたこと~地球の記憶に刻印されている
さて、一生懸命夢や願いを言葉にして心に思い、行動を起こしていっても夢が叶わないときがあります。(ようやく本題・笑)
私も長年、あるひとつの夢をずっと胸に秘めています。
今現在、その夢はまだ叶ってはいません。時折「もうだめなのかなぁ、私の力がまだ足りないのかな」などと弱気になることも。(絶対大丈夫!)
そんなあるとき、映画監督の龍村仁さんに雑誌でインタビューをさせていただきました。
映画「地球交響曲第六番」が完成し、ロードショー公開になった際の取材です。
龍村監督とは講演会などでご一緒することも多く、私は「地球交響曲第一番」からの大ファンとして、時間をかけてゆっくりとお近づきにならせていただいた大切な方です。
取材中、映画とは少し離れ、「読者の方の生きるヒントになるようなお話をして下さい」とお願いしました。
そのときのインタビュー記事の一部を載せますね。映画と絡めての記事です。

『「一人の人間が地球規模の危機に対してなんの力も発揮できないと思い込まされていること事態が根本的な間違いと出演者全員が言っている。

自分ひとりの小さな営みは全ての存在に影響を与えているという想いを持っていれば、誰かが認めてくれなかったなんてことよりも、自分自身が根源的な大いなるものに繋がるという感覚の中で一歩でもしていることは必ず全部に影響を与えている。だから心配する必要はないんだよ」と包むような深い声。

私達はすぐ結果が出ないと焦るが「自分が生きているうちに結果を見たい気持ちはわかるよ。

でもね、結果がダメだったら失敗だという考え方も違うと思う。大いなる何かに委ねて今この一瞬にやれることをやる」と、肩の力が抜けていくような安心感をもらった。自分の思考や行動が地球の記憶に残る…。

「何をやるかというと、ガイア、生命そのものは大きな意思として二つ持っていると思う。

“出来るだけ健やかに生きたい”と“出来れば長く生き続けたい”。その為には多種多様なものが共に生きなければいけない。多様性は重要なんですよ。現在の価値観だけでこれはいらない、これはムダとやっていると全部終わりになる」と警告。違いを受け入れるという精神的な成熟が全ての命に大切なこと。龍村監督はそれを「魂の進化」と呼ぶ。』
「ナチュラルスタイル」vol.2(アクアパパ刊)/武田はるかアーティストインタビューより

私はこのお話を伺ったとき、映画のワンシーンである“銀河系がゆっくり回転している映像”が浮かび、「あぁ、あの中の地球という星の歴史、記憶の中に私のすべてが記憶されているのだ」と、リアルに実感したのです。

そして私の願いがこの人生の中で叶わなかったとしても、この思いをいつか共鳴した人が受け継いで形にしていくだろう。私の叶わなかった願いや思考は、「次の世代への種まきでも良いのだ」と思えたのです。
本当に肩の力が抜けるような、不思議な安心感が生まれたのでした。
よく「お天道様は見ている」と言いますよね。
天は見ていてくれる、グレートサムシングは見ている、
大いなる何か…神様はちゃんと見てくれている……。

誰に認められなくてもいい。自分が一生懸命やってきたことが、ちゃんとこの地球という星の記憶に刻印されている。だから目の前の浮き沈みで心を痛めることはないんだなと心から思えたのです。

Photo_34 *夢が叶わなかったときこそがチャンス
入社試験や受験のように合否がハッキリしている場合、
これはもう「この道ではないよ。他に行くべき所があるよ」ということなのかもしれません。
「結婚したい。彼が欲しい(誰と?)」は、具体的な対象の人がいない場合は、夢ですよね。人との出会いはご縁のものですから、ある日ひょっこり現われるものです。
夢と目標は違います。目標は具体的なプランを持って行動に移して実現させていきます。夢はどちらかというと棚ボタ…的かもしれません。ぼんやりとちょっと甘みがある……。

だから夢みたものとは違うけれど、ちょっと形を変えたものが手の中に入ることがあります。私はかなり若い頃、「ちょっと形を変えたもの」じゃイヤで、そういうものは弾いていました。
あるとき、私の師匠とも言うべき恩師が「来たものは何でも素直にやりなさい。そこから次へと繋がるから」と言ってくださいました。
確かにそうでした。そうすると目先の利益に惑わされないのです。そこで築いた人間関係から願う道につながっていくこともある。だから夢が叶わない、といってがっかりすることはないのです。

夢が叶わなかったときこそチャンスなのです。
「本当にそれが本心からやりたかったことなのか、自分はそれに向けてどこまで努力したのか、人を大切にしたのか」ということに向き合うのです。
そういった貴重な時間を持てて初めて、夢が叶っても叶わなくても、「幸せだなぁ」と思える自分であることがステキなのではないかしら。
あきらめて他の道を探すもよし、再度チャレンジするもよし。願いが叶うまで時間がかかるものもあるのです。
そして夢破れたあとには、いつも新しい扉が開かれるのです。

*必要な道はちゃんと用意されている
夢や願いが叶わないことも美しい経験です。そこから学び、愛が深くなり、すべてを受け入れる経験を積んでいくのです。
失敗したり願いが叶わなかったからといって、あなたの価値が下がるわけではないのですよ。
人が弱くなるときは「将来に希望の光が見えない」と感じるときです。
私はチャンスはいつも降り注ぐ光のように、この空間に粒子となって浮遊していると思うのですね。
だからいつも手のひらを上に向けて、太陽の光を受けるような気持ちでいたいなぁと思います。

あなたの望むことはあなたの守護の精霊がちゃんと分かっているのですから。
時期が来たらその手の中に入るようにしてくださると思うのです。せっかく叶った夢も使いこなせなかったら、もったいないです。ちゃんと使いこなせる時が来たら叶うのだと思います。

たとえて言うなら12歳の女の子が、「来年、結婚したいです」と願っても今の日本じゃ無理ですよね(笑)。
自分に必要な道はちゃんと用意されていると信じて、今、目の前のことをやっていく。当たり前の言葉でしょうが、そう思うのです。
その夢があなたにとって将来良いものにならないならば、天はあなたに与えないと思います。
だからね、起こったことは「すべて良し」と心定め、進んでいけたらいいですね。
夢が叶わなくてがっかり、だけじゃ残念ではありませんか。そのときをチャンスと思い、明日の中に光を見つめ、今日を生きていきましょう。大丈夫、大丈夫。
夢を見るのはステキなことです。夢が破れたからといって、夢を見るのをあきらめないで。
夢は希望の最初の光だと思うのです。

「誰かが認めてくれなかったから、なんてことよりも~大いなる何かに委ねてこの一瞬にやれることをやる」と言って下さった龍村監督の言葉が胸に沁みます。
分かってくれている人は分かってくれているのです。
そしてあなたの存在もこの地球の記憶にしっかりと刻まれているのです。
始まりも終わりも無い、果てしない地球の記憶に……。

2009年7月22日 (水)

No.15 心の持つチカラ(1)~心のエネルギーをひとつにすると願いは叶う

今回の更新はちょうど皆既日食に当たります。新月のスペシャル・バージョンと言ってもいいですね。
何か新しいことを始めたり、やろうと決意をしたりする時にはピッタリの日です。
そこで今回は、「心のエネルギーをひとつにすると願いは叶う」ということについてお話させていただきますね。
言葉の持つチカラを支える「心の持つチカラ編」はちょっとだけ上級です(笑)。
4月25日付のピュアハートで「言葉の持つ力(1)宣言をすると願いは叶う」を書きました。是非、こちらも振り返っていただきながら、言葉と心の最強タッグで夢を実現させていきましょう。
言葉は心にチカラを与え、心は行動にチカラを与えます。そして行動は習慣を変え、人生を変えていくのです。

Photo_36 *思いの強さがチカラとなる
私は今までたくさん心のエネルギーの無駄遣いをして、夢が叶うのに時間がかかってしまいました。ですから叶えたい夢をお持ちの方が、効果的に心のチカラを使ってくださるといいなと思います。
心のチカラ、言い換えれば、思いのチカラと言ってもいいでしょう。念力というと、ちょっと怖い(笑)。
それだけ思いの強さで良いことも悪いことも願いが成就してしまうのです。だから上手に心のチカラを使いたいものですね。

*決めたら迷わず進む
さて、話を戻して「私は今までたくさん心のエネルギーの無駄遣いをしてきた」と言いました。
無駄遣いとは、叶えたいことがあるのに色々迷ったり、あっちこっちに手を出して、100%思いを目標に注ぎ込めていない状態です。
私の場合だと、この先もずっとフリーでやっていこうか、それとも事務所に入ろうかと迷った時期がありました。
だからあっちにフラフラ、こっちにフラフラしていたことがあったのですね。迷っている間に原稿の一枚も練習すればよいのに、ただ迷って悶々と時間を消費していたのです。どうしたらいいか考えていたのではないのです。
ただ迷っていたんです。
しっかり自分を見つめていなかったせいでしょう。
今、振り返るとこれらも決して無駄ではなかったのですが、願いを成就させるにはかなり回り道となったのも事実です。
どっちでもいいから決めて、決めたら迷わず進む。
進んでダメだったら違うやり方を探せばいいのです。
要は「腹をくくる」に通ずるのかもしれません。

*心の純度の高さ
受験勉強に例えてみると分かりやすいでしょうか。
入りたい大学がある。それに向けて対策を練り、プランを立て、集中して勉強していく。希望の大学に向けてまっしぐらですよね。
でも、もうひとつやりたいことがあって、仮に旅の仕事にも興味があるとしましょう。そこで海外添乗員にもなってみたくて、ツアーコンダクターの勉強も始める……。
大学の受験勉強とツアコンの勉強の二股です。
何を勉強しても無駄ではないけれど、エネルギーは分割されます。100%使えません。
ましてや受験日という期日が迫っている、という時です。
二兎を追うものは一兎も得ず、ですね。
これは子育てと仕事の両立をしなければならない、というのとは訳が違うのです。
心の中に将来の夢として青写真はあっても、まだ現実では形になっていないものに対して、自分の心のエネルギーを100%使って成就させるわけです。
ですから、「心の純度の高さ」が勝負になるのですね。
私はイチローと石川遼君のひたむきにひとつのことを成し遂げようとする姿に、いつも心の純度の高さを感じています。

*誰にでも奇跡は起こる
やりたいことに向けて懸命に自分の時間を使い、思いを100%向けてやっていると不思議とアイディアが浮かんだり、人からチャンスとなるような情報が入ってきたりします。求心力に似ているのかもしれませんね。
意識を集中して取り組んでいれば、周りも応援してくれるのです。その応援のパワーは奇跡のように扉を開けるチカラをなってくれるのです。
しかも、やっていることが大好きで楽しくて仕方がない。
だから完成までの道のりに、願いが叶うまでに、キツイことがあっても、歯をくいしばって乗り越えていけるのです。
そういう人に、人は集まってくるのですね。
誰にでも奇跡は起こるんですよ。
これを是非、あなたにも経験していただきたいなぁと思います。
(この辺については1月26日付「心の奥から湧き上がる思いを形に~イベントプロデュースその2」をご覧になってくださいね)

Photo_35 *否定的想念を入れない
ここで気をつけることは、壁にぶつかったとき、「出来ない、無理」と否定的モードに入ってしまうこと。スランプは誰にでもあるのです。
目標に向かってがんばっているとき、「やっぱり無理、出来ない、間に合わない」なんて言うのは、一生懸命、海面に出ようと水を蹴っている足に錘(おもり)をつけているようなものです。
海面だけ見てふ~っと上がっているときに、上がらないように負荷をかけているのですね。
これがエネルギーを分割している状態なのです。
心の純度の高さ、エネルギーを下げちゃっているのです。もったいないでしょ。
だから言葉のチカラも借りて「絶対、大丈夫。絶対、出来る。絶対、この願いは成就する」と言っていれば、エネルギーは分割されないので、願いが叶いやすくなるのです。そのようになっていくのですね。否定的想念を入れない。これがコツです。

*幸せにつながる小さな願い
私は自分のことも含め、たくさんの方にインタビューをしてきましたが、ほぼ共通していることは「その人が本来やるべきことに気づき、懸命に取り組み始めると道は開ける」ということです。天職ですね。
特に、世の中の役に立つこと、人の心を大切に豊かにしていくこと、平和に関すること、地球とすべての生命に役立つことなど、他者に対する愛から生まれた思いは、驚くほど速いスピードで成就するように思います。
自分を生かし、人を生かし、地球と共に生きていく……という感性がこの時代、いかに大切かが分かります。
そして夢を叶えて手に入れるものは、決して特殊な才能を生かした仕事だけではないのです。
ごく当たり前の日常を愛の心で過ごすこと。その中の小さな幸せにつながる願い……。この積み重ねが美しい人生を織り上げていくのではないのかなと思います。
私もあなたの心にあるあたたかい光を、あなただけの大切な思いが叶うことを心から応援し祈っています。
ときにはお月様のチカラもお借りしましょう~。

さて、夢が叶わなかったとき、どう思えばいいのか。
次回はそのことをテーマにお話させていただこうと思います。龍村仁監督から伺った貴重なお話です。

2008年12月27日 (土)

No.4 イベントプロデュース その1

なが~い自己紹介の4回目は、放送タレントとしての私が、製作サイドを始めたことについてお話しようと思います。
これは自分の中では“仕事のひとつ”というよりも、突き動かされるような想いでやっている、想いを形として世に産み出す……という感覚に近いのかもしれまPhoto_68 せん。

*心の奥から湧き上がる想いを形に~イベントプロデュース その1*  

元々、企画構成が好きだったのでしょうね。中学校の文化祭ではクラスの出し物の劇の原作を決め、脚本を書き、キャストを決め、といった具合に。今までにない新しいものを作るというのが好きでした、もちろん今も(笑)。  
私がプロデュ-スをするのは、「どうしてもこの形で表現してみたい!」「これは今、やっておかなくちゃ!」「是非、皆さんに知っていただきたい!」という強い想いが心の奥から沸きあがったときです。

振り返ってみると、私がインスピレーションでキャッチし企画立案していくものは、いつも時代より4、5年は早いみたいで、「理解してくれる人が欲しいなぁ、どうやったら伝わるかな」と思いながらやっています(笑)。

「ネイチャーリング・コンサート~プラネット・ラブ」

90年頃から私の中で音楽と言葉と地球意識が結びつき、人と地球の平和や進化の助けとなる事を常に考えるようになっていきました。
想いが熟成し、そこから生まれたのが、まだ世の中では馴染みのなかったコラボレーション。
“良い組み合わせ”というコンセプトで考えたとき、音と光(映像)と香りと言葉の組み合わせだったのです。
またアーティストの異色の組み合わせで更なる可能性を広げてみる……。その四つが組み合わさったとき起こる奇跡のようなパワー。それを皆さんに体感していただきたいと思ったのです。
これがコラボレーション・コンサート「ネイチャーリング・コンサート~プラネットラブ」です。
様々なジャンルのアーティストにご出演いただき、一人では生み出せない共鳴現象が会場で起り、回を重ねるごとにその奇跡のようなシンクロと感動をお客様と一緒に作り上げていったのでした。
新しいことに取り組み、異質なものを受け入れて美しさに昇華させるのは大変なことですが、これを続けていくと自分のキャパシティが広がり、いつも新鮮な気持ちで物事を見ることが出来るんですね。これは大発見でした。

「朗読ライブ」

Photo_67 私自身とお客様とが、愛と地球意識を分かち合いながら楽しめたらいいなという、セルフプロデュースのステージです。音楽と映像と語りが一体化するというまさにライブ。
録音と違って一発勝負で決めるライブは、アドレナリン全開です(笑)。
「音楽によってナレーションも変わる、その音楽のエネルギーに合わせて原稿を読む」というのを味わっていただきたいなと思ったんですね。
音楽に合わせたナレーションは、聴いていると自然でとっても気持ちがいいんですね。心の奥にグッと入ってくる。音魂と言霊の相乗効果は本当にすごい!と思うんです。

合間のトークでは場内大爆笑!自分が見聞きした面白いお話のおすそ分けをしています。アドリブトークなので、DJのキャリアが生かせました。
皆さんから「こんなの初めて!朗読で泣いて、トークで笑い涙まで流した!」との声をたっくさんいただいたので、ちょっとびっくり。これは会場の皆さんとの共鳴が起こっていたんですねぇ。もう、素直に嬉しい!
私、なんだか、さだまさしさんの路線でしょうか(笑)。

特にその場で会場から言葉をいただき、すべてつなぎ合わせて即興のストーリーを語るという「お題ちょうだい」には拍手喝采!「よくやった!」「すごい!」とのエールが飛んできました。
これは自分の感性と技量が全て出てしまうので、本当言うと、やるのが怖かったのですが、やってよかったなと思いました。

この朗読ライブは、今後も定期的に開催したいと思っています。
また、一般の方や子供たちの作品に音楽と映像をつけて上演したいなぁ。あなたご自身の、子供たちの、自分がつむぎ出した言葉が作品としてお客様に見ていただく……。
思いがけない自分の才能の発見や喜びにつながれば、こんなに嬉しいことはありません。
朗読会は全国どこへでもお伺いしますね。(お問い合わせページからどうぞ)

おーちゃんこと、いつも気持ちよくサポートしてくれるシンセサイザーの大隝恵さんは、場の空気を読み、あうんの呼吸で音をつけてくれる天才。
さとちこと、こまごました事から全体の仕切りまで、安心して任せられるステージマネージャーの佐藤智恵子さん。
モーリさんこと、おしみない愛情で、心が浄化するような写真を提供してくださる大内盛男さん。
たくみ君こと、いるだけでみんなの心が和むPCエンジニアの高田匠さん。
そして全面的にサポートしてくれる家族に大感謝!
みんなのお陰で安心してやらせていただけます。ホントにありがとう。

私は「この原稿には、どんな音楽が合うんだろう」と選曲しているのが何より楽しく、時間を忘れます。ナレーターは与えられた原稿を読みますが、自分で読みたい原稿を選び、作り上げていくというのが、自主開催の面白さであり、醍醐味です。

手作りは手間がかかりますが、お仲間同士で心に強く浮かんだことを形にしてみる……。
絆が生まれ、達成感を体験できるんですね。
どんな小さなことでも、始めてみてはいかがでしょうか。
あなたのはじめの一歩を応援しています。