言葉の持つチカラ

2017年4月21日 (金)

私という言葉の秘密

421日付のFacebookに下記を書きました。

武田はるか カルチャー

「新・心と言葉のセラピーレッスン」

ワンポイント・アドレス

 ―1 自分の気持ちを伝えるときの言い方

「私」から言い始める。

 

 そこで「私」という言葉の大切さをお話ししたいと思います。

 

自分のことを説明したり気持ちを伝えたりするときに必ず使うのが「私」という言葉ですね。

自己紹介なども「私」から始まりますよね。

 

この「私」という言葉は、よく考えると自分一人しか使えない呼称の言葉です。

複数になると「私たち」、「あなたと私」「みんな」となります。

 

ということは、「私」という単体の言葉を使えるのは、地球上に自分しかいないのです。

いえいえ、もっと大きく言うと、この宇宙で「私」と言えるのは自分一人だけなのです。

 

つまり、「私は○○です」と言ったら、それは宇宙に向けてと宣言したことになるのです。

そんな大げさなと言わずにもう少し読んでくださいね。

 

 たとえば、

 「私は馬鹿だ~~!」 

宇宙「そうですか、馬鹿なんですね。ではその現実を出しましょう」。

 「私は素晴らしい~~!」

宇宙「そうですか、素晴らしいんですね。ではそのような現実を見せましょう」

 「私は○○になる~~!」

宇宙「そうですか、○○になるのですね。では一番良いタイミングでそのようになりますよ」

 

このようにとても素直に言ったままを受け止めてくれるようです。

 

そうであるならば、これを使わない手はありません。

毎朝、太陽を見ながら「今日も素晴らしい日だ。みんな幸せだ。私も元気だ」と言えば、そのような日になることでしょう。

たとえ、アクシデントがあったとしても、大難を小難に変えているのではないでしょうか。

言葉の力とはそのようなものだと思います。

 

さらには、「私は豊かで幸せです~。○○の仕事をしています」

現在形、もしくは過去形でいうのがコツです。

「なりたい」は、“なりたい状態”を希望しているのと同じです。

そうじゃないですよね。

願いを叶えたいときは、すでに成就した時を思い描き、幸せな気持ちで「○○になりました。ありがとうございます」と言いましょう。

 

潜在意識と宇宙は繋がっているとも言われています。

自分が発した言葉は自分が骨伝導で最初に聴いているのです。

「言葉に気をつけましょう」というのは、なにも相手へを慮るだけではなく、

「自分に対しての言葉でもあるのだから気をつけましょう」ということなのですね。

 

私というのは、

この宇宙の中で、たった一人しかいない、大切な、オリジナルな存在なのです。

「私は○○です」というとき、宇宙に宣言しているのです。

自分だけしか使えない言葉。だからこそパワーがあるのです。

これが「私」という言葉の秘密であり、チカラです。

 

 時々、私は天に向かって「私は女神で~す♡」と言っています。

言うのはタダですもんね(笑)。

でもいつの日か、この身の上に女神様のような愛あふれる姿が現れたら本望だなと思っています。

Photo

 

武田はるか公式サイト http://www.takedaharuka.jp

2010年11月 6日 (土)

No43.言葉の持つチカラ(4)~ありがとうor すみません

Photo 私たちが日常でよく使う、ありがとうとすみません。
両方とも感謝の気持ちを伝える言葉として使いますが、
皆さんはどちらを多く言っていますか?
今回はこのふたつの言葉についてご一緒に考えてみましょう。

*すみませんは潤滑油
I'm sorry とExcuse me。日本語訳ではどちらも「スミマセン」なのですが、英訳では、謝罪するI'm sorryの「ごめんなさい」と、緩和剤のようなExcuse meの「ちょっとすみません、ちょっといいですか」。意味がまったく違っていますね。
Excuse meは、人との潤滑油になる言葉でとても重宝です。人に何か尋ねるときやお願い事をする時や、「ちょっと通して下さ~い」などという時に使うとクッションになって、相手の方への気配りになります。
今回、言葉の持つチカラとして考えてみたいのは、相手への感謝の言葉として使う「すみません」です。
私も以前、この「すみません」をよく口にしていました。本来、お礼の時は「ありがとう」ですよね。
でもつい言ってしまう「すみません」。
なぜかなと考えると、「相手の方が自分の大切な時間を使って私の頼んだことをしてくれた、お手数をおかけした」という気持ちから出るのですね。感謝の気持ちを表す言葉です。
かつての私の場合は、「こんな私のために」という思いが先に来ていたのです。かなり自分を卑下していたので、「すみません」になっていたのでしょう。「ありがとう」が出なかったのです。
もちろん、「すみません」と言う方が全てそうであるという訳ではありません。
すごく重いものを持って来てくれたときなどは、やはり最初に「すみませ~ん」が出ますよね。それから「ありがとう」が続く。これは自然な流れですね。
「まぁ、すみません」「わざわざすみません」「遠くからすみません」などよく使われます。
ただ、日常的に習慣として、ありがとうよりも「すみません」を言っているならば、修正の余地があるかもしれません。
「すみません」は感謝の言葉であるとともに、謝罪の言葉でもあるのです。

*すみませんは、ありがとうとセットで使おう
口癖は誰にでもありますね。もし、お礼を言うとき、自分がどのように言っているのか思い返してみて、「すみません」の方が多かったと思ったら、実験として1週間、「ありがとう」に置き換えてみてはいかがでしょうか。
私が講師を務めているNHK文化センター「ことばレッスン~上手なコミュニケーション」でも、このテーマで講義をしたときに受講生の方が「私もそう言っていました」と述べ、この実験に取り組みました。
そうしたところ、「初めは今までの習慣で「すみません」が出そうになって、「す」と言って気がつき、急いで「ありがとう」に直して言った。段々慣れてきて「ありがとう」が先に出るようになり、自分の気持ちがスッキリして気持ち良くなってきた。さらに「ありがとう」のほうが、相手の表情が嬉しそうなのに気がついた。」と報告してくれました。そして「私にとって、すみませんは口癖になっていたんですねぇ」としみじみ言っていたのが印象的でした。
また他の受講生の、「私のために時間とお手間を取らせて本当にすみません、の気持ちで言っているのですが」については、その気持ちも本当に大切なものだと思います。
デリケートな使い分けですが、このような場合は「ありがとうとセットで使う」ことをお薦めします。
相手の労力をねぎらい感謝することで、気持ちの通い合ったコミュニケーションになりますね。

*ありがとうは100%感謝の言葉
先ほどの「ありがとうと言ったら、相手の表情が嬉しそうなのに気がついた」という報告は、まさにその通りだと思います。自分に置き換えれば分かりますね。やっぱり「ありがとう」は言われると嬉しい言葉なのです。
「すみません」を連発されると、「いや、いや、いいんですよ」となり、返って相手を謝らせているみたいな気分になることがあるのではないでしょうか。
満面の笑顔で「ありがとう~!」と言われると、「やってあげてよかったな」と思うことでしょう。
「すみません」は感謝と謝罪、両方に使える便利な言葉です。より感謝の気持ちを伝えたいならば、真っ先に「ありがとう」から言えたらいいなと思います。

言葉ひとつで気持ちのベクトルが大きく変わります。
相手も喜び、自分も嬉しい。言葉は本当に不思議です。
気持ちを伴った言葉ひとつで変わってきます。
もし日常的に「すみません」を言っていたと思ったならば、ここはひとつ、「ありがとう」に変えてみて、自分の気持ちの変化や相手の方の変化を確認するのもいいですね。
ひとりが変われば、自然と周囲も変わってきます。ひとりの変化が全体を変えて行くのです。
大きな変化を起こすには大きな力が要りますが、言葉をひとつ変えてみるのは小さな力で済みますね。まず自分から始めてみませんか。
きっと体の中を気持ちの良い風が通っていくことでしょう。

2010年3月22日 (月)

No29.言葉の持つチカラ(3)~気持ちの良いYES

Photo_9  この春、社会人となられる方も多いことでしょう。
フレッシャーズとして緊張しながらも、ご挨拶をしたり、ハッキリとした声でお返事をするなど、業務以前のマナーを身につけ始めている頃ですね。
さて、今回は新社会人だけではなく、オールマイティに高感度が上がる言葉の持つチカラの3回目「気持ちの良いYES」についてお話させていただきます。これを身につけるとあなたの味方がグ~ンと増えますよ。
参考までにNo11、12「Noの言い方、上手な気持ちの伝え方」もご覧になってくださいね。

*和顔愛語
「和顔愛語」という言葉をご存知ですか?
仏教用語辞典を引くと「なごやかな表情と親愛の情がこもった言葉づかい。親しみやすく暖かい態度のこと」と記されています。
私はこの言葉が好きで、日ごろからこの言葉のようでありたいと心を向けています。
と言うのも、これまたお恥ずかしい話ですが、かつての私は暗顔媚語(造語ですよ~)とでも言いましょうか。相手の方に気に入ってもらいたいが為の笑顔と言葉を発していたことがあったのです。
また頼まれごとを引き受けたものの、愚痴や不平不満を言い、果ては勿体をつけたり恩を着せたりする言動をしていたこともありました。こうすることで満たされない自分の気持ちを表し、自分を守り正当化していたのです。なんともはや……。
今、振り返ってもそのときの人たちに嫌な思いをさせたし、このときの自分は可哀想だったなぁと思います。
時間はかかりましたが、そういうクセも努力して手放してきました。そして「No18.そのひと言が人生最後になるとしたら」で書いたように、やはり人は和顔愛語でありたいと思うのです。
ちょっと心がけていけば、誰でも心からの和顔愛語が出来るようになるのです。
この和顔愛語の一番シンプルな形が「気持ちの良いYES」です。

Yes_logo*明るい「はい」は魔法の言葉
新入社員の方は新人研修などで、「上司からの指示の受け方」なども学ばれることでしょう。とにかく最初は出来ても出来なくても「はい」と言って研修を受けていきます。
決して「え~、何でですかぁ、意味わかんな~い」などとは言わないはず。言ったらお目玉ですよね。
実はこの「はい」という言葉が、新入社員であろうと定年間際のおじさまであろうと、とても大切なキーワード。人生を明るく展開させていってくれる魔法のひと言なのです。
上司から指示を受けたり、何かを頼まれたときや出欠席の確認など、お返事をする機会は多いもの。
YESかNOか、考えてから返事をするときもあるし、瞬時に返事をしなければいけないこともあります。
気持ちの良い返事をして、すぐに行動に移す。
当たり前のことですが、同じやるならば気持ち良くやった方が相手からも喜ばれ、感謝されるのです。
また、このように気持ち良く「はい」と返事をして頼まれたことをやっていると、周囲からも可愛がられるのですね。
特に新入社員の方は慣れない仕事で辛いこともあるでしょう。「なんで私がこんなことをやらなくちゃいけないの?」と思うことも。とまれ、お給料とはそのようなものなのです。ましてや新人へは会社がお金を払って(お給料)、仕事を教えてくれているのです。
未経験のことを、お金をいただいて覚えている。つまらない嫌な仕事かもしれませんが、積み重ねることにより、仕事のプロフィールが増えていくのです。
愚痴や不平不満は自分の評価を下げるだけでなく、自分の品性をも下げることだと覚えておくといいですね。

*NOを言うことも大切
ただ、仕事などでもキャリアを積んでくると、立場上、YESと言えない時もあります。
またスケジュールが合わなかったり、ビジネスとして成立しないなど、残念でもお断りするしかないときがありますね。
内心、困ったなと思いながらもYESを言わなくてはいけないときもあるし、あまりにも甘えた依頼にはNOを言うことも大切。「今日も残業代わって~」なんていうのは、断らないといけませんよね。
嫌われたくないから「YES」を言い続けるのは、相手にも自分にも失礼ですし、人から都合よく使われてしまうことにもなることも。
自分のためにも相手のためにも時としてNOを言うことも大切なのです。ですから上手なNOの言い方も、同時に身につけていくと良いですね。
ですが、一旦引き受けた以上、その後、条件などが変わって不利益にならない限り、誠意を持って行いましょう。
そうすると周囲から信頼されてくるのです。
また無理なお願いをされたときはある意味、相手に貸しを作ることにもなるので、その後あなたが何かを頼んだとき、先方はイヤとは言わないはずです。こういうところで相手の誠意を見極めることもできるのですね。

*テイク&ギブ
中には「ギブ」ばかり求めてくる人がいます。そういう人は人を都合よく使おうとします。ただし、自分が成長してくると、ギブばかり求める人は近づいてこなくなります。つまり、普段、自分がお付き合いしている「労を惜しまず、テイク出来る方々」が周囲にいるので、ちょっとずるい気持ちを持っている人は、すでに信用されていないのですね。
常に損得を考えている人に何かを依頼するときも、能力のみのお付き合いになり、その人を誰かに紹介してさしあげようとは思わなくなっていくのです。
私はフリーで長年やってきているので、コレが一番怖いなと実感しています。信用はお金では買えないのです。
気持ちの良いYESを言う。キチンとNOも言える。自分なりの判断基準を持ち、労を惜しまず出来ることはやってあげていると、その相手からではなくても、めぐり廻ってギフトが届くのです。
ビジネス上では損得も考えなければいけないのですが、必ずどこかで帳尻が合うように出来ているのですね。
私の師匠は「くれくれ乞食になるな。相手が求めていることを先にしてあげなさい」と教えてくださいました。
嫌な思いをすることもありますが、反面教師として人を見る目を養い、私もちゃんと「テイク&ギブ」が出来る人になりたいと思います。
私も未だにたくさんの方にお世話になり、足を向けて眠れない恩人がたくさんいます。
またありがたいことに「労を惜しまず、テイク出来る」という友人達にも恵まれています。
いつか恩返しが出来るよう、成長した姿を喜んでもらえるよう、がんばっている最中です。
そして自分が受けた恩を今度は自分の近くに人にお渡ししていけたらと願っています。愛には愛で応え、見返りを求めず、私でお役に立てることがあればと……。
「情けは人のためならず。めぐりめぐってわが身の元へ」。私の祖母が生前、よく言っていた言葉です。

仕事だけじゃなく、身近なところから魔法の言葉「はい」を使っていったら必ず良い方へ変わっていくはず。
家族から「お茶入れて~」と頼まれたとき、気持ち良く明るい声で「は~い」と言って、すぐに美味しいお茶を入れてみてはいかがでしょう。そうすれば、さらに明るい調和した家庭になるでしょうね。
和顔愛語をキーワードにして、気持ちの良いYESで優しさが広がっていきますように……。

2009年12月 2日 (水)

No24.人には愛の言葉しか通じない

今回は言葉と心の両方のチカラのお話になります。
「叱ったり叱られたり」がテーマと言えそうです。立場によってはやらなきゃいけないことですが、いづれにしても気が重いですよね。出来ることなら注意などしたくはないし、されたくない……。
みんなが経験するこのことについてお話させていただきますね。

Photo_16 *No1にも書いたのですが
これまたお恥ずかしい話ですが、私は「人を叱る」というのが苦手です。もちろん叱られたら落ち込みます。
そんな私が語ってしまうわけですが、皆さん、ついてきてくださいね(笑)。
さて、この「人を叱る」については、このピュアハート第一回目に少しだけ触れています。下記、No1からの抜粋です。
『あるとき、私の役目ではなかったものの、あるスタッフの上司に頼まれてどうしてもそのスタッフに注意をしなければならなくなりました。

人を叱るなんて生まれて初めての経験でした。その結果、学んだ事は「人には愛の言葉しか通じない」ということでした。以来、私はどんなに正論であっても、間違いを指摘し人を責めるような話し方をしてはいけないと心に誓いました。とても痛い教訓です』。いうなればコレが結論です。ここで終わってしまっては早すぎるので、ちゃんと書きますね(笑)。

*叱るのも愛
誰もが優しい言葉だけで職場や家庭を円満に保っていけたら……。そう願います。ただ上司という立場や親や指導者であったりすると、なかなか優しい顔ばかりしていられません。時には大声で怒鳴ることもあるでしょうし、子供が命に関わるような危ないことをしたら、ほっぺを叩きながら怒ることでしょう


しつけとして、また社会人のマナーや仕事上のルールとして、いけないことはいけないと教えなきゃならないときがある。これは相手に良くなって欲しいという愛の心です。
私も上記の一件で「何でこんなことする羽目になっちゃったんだろう~」と思いながら人を叱ったとき、叱る人も心が痛むのだと知りました。
憎まれ役を引き受けた立場の方は「こんなこと言わせるなよなぁ」ってところ、ありますからね。
叱られた人は、叱ってくれた人も辛いのだということが分かってくると、一歩、大人になるのかもしれません。

*叱るとき心がけたこと
さて、人を叱ることに慣れていない私は、相手を責めていたのです。人格を非難したのではなく、横のものは横に置くといったレベルの仕事上のルールの問題だったのですが、相手のお嬢さんは自分の人格の領域に問題を持ち込み「私は悪くない。私ばかり責めないでください」となってしまったのでした。

責められれば防御します。分かり合おうという共通の意識で話すことがお互いに出来ていなかった……。私の稚拙な叱り方の結果です。これは心の中で長い時間後を引くとても苦く痛い経験でした。

今ならば少しは分かるのですね。あのとき、「これは困る。これはしちゃいけない」という否定的な言い方だけではなく、「こうしたら良くなるよ。だからこうしようね」という言い方をすれば、お互いに必要以上に傷つかず、状況を改善できていたのではと思うのです。

問題を改善するための具体的な方法をポジティブに示すこと。これが大事だったのです。
唯一、私が叱るときに心がけたことは、「今回、問題となったそのことだけを叱る」ということでした。
あれもこれも叱らない。つい言いたくなっちゃって、「あの時もそうだったでしょ」とか「あんなこともやったじゃない」と過去を持ち出して、叱る材料を増やすことは絶対にしないと決めて行ったのです。
そうしないと「じゃああのとき、言ってくれたらいいじゃないですか!」と、なっちゃいますよね。どんどんエスカレートしていき、感情的になりケンカになってしまう。そうなることは望んでいないのですから。
私も昔、母に「あのときもそうだった」と言われるのが嫌でした(笑)。

*叱られたときは
私は今年の夏の終わりに、妹のように思っている年若い女性に注意、というかアドバイスをしました。愛の心を持って「こうした方がいいよ」と言ったのですが残念ながら……。ただいつか時がくれば分かるのだろうなと思っています。

Photo_17 愛の心、愛の言葉を持ってしても通じないときは、その人がそのことを受け入れられる時期ではなかったのかもしれません。
あるいはご縁の深さも関係しているのでしょう。何故かとても親しい気持ちが湧く人、前世で姉妹だったのでは、なんて思うような人から言われたときは、たとえ厳しく言われても受け入れられるのではと思うのです。

感情のはけ口や気分ではなく、本気で叱ってくれる人がいることは幸せです。自分を正し、考える機会をいただけるからです。そのように叱ってくれる人はちゃんと見ていて、自分が変わったときは褒めてくれるのですね。
昔は近所におっかないおじさんやおばさんがいて、子供たちに目を光らせてくれていたものです。
今はそういう人も少なくなってしまった。残念なことです。

人からアドバイスや注意を受けたとき、自分のやり方、主義主張もあることでしょう。ただ、時には素直に苦言にも耳を傾ける姿勢を持ちたいものです。
素直だけが取り柄の私は多くの目上の方に可愛がられてきたように思います。つまりそれくらいお叱りを受けてきたってことです(笑)。

振り返ってみて「あぁ、あのときこんなことを言われたな」と思い出すことがあります。今なら言ってくださった先輩方の言葉の意味がよく分かります。
そのとき分からなくても、まるでタイマーが作動したように心に蘇り、「おっしゃるとおりでした!」と思うことがありますね。「親の小言と日本酒は後から効く」とも(笑)。「素晴らしい子なのだから、必ず良くなる。出来るようになる」。

そう信じて叱り、アドバイスをするのでしょう。
叱られたことは嫌なこと、無意味なことばかりではないのです。いつか時間が経って、心に響くことがある。私はそう信じています。

*たとえ正論であっても
ところが、当たっているだけに言われると痛いことってありますよね。自分でも分かっているのに、なかなか軌道修正が出来ない。そこを指摘されると返って反発してしまいます。
だからこそ、正しいことを言うときは少し控えめにする方がよいのだと思います。正しいことは時に相手を傷つけもするのです。これ、吉野弘の詞「祝婚歌」にも書かれていますよね。

たとえそれが正論であっても、相手を責め、追いつめるような言い方は逆効果で、相手の心を閉ざしてしまうことになりかねないと思うのです。
また置かれている立場によっては、この世の泥水を飲まなければいけない時もあります。正論だけでは生きていけない。正論だけでは人は救えないのです。

人の痛みが分かった上で、同じ目線で、「一緒に良くなっていこうね」と手をつないでいく気持ちが大事なのでしょう。私の痛い経験から得た教訓です。

*叱るのは、愛の思いがあるときだけ
「人には愛の言葉しか通じない」。本当にそう思います。私はあえて苦言を呈するときは、「たとえ相手から嫌われてもかまわない」と思えたときだけ言います。つまりそれだけ相手を愛しているのです。だからけっこう賭けです(笑)。
その点、肉親やパートナーはありがたいですね。ほんとのことを遠慮なく言ってくれますから。私も“家族ならば言うのに”というケースがずいぶんあります。

家族じゃなくても、スッキリ、サッパリ言えるようになったらいいなと思います。

本人すら気づいていないような良いところを見つけて、認めて、言葉にして本気で褒めていくと、人は速いスピードで成長するのだと思います。
自分は相手に受け入れられているという安心感によって、心を開いて、たとえ苦言であれ聞いてくれる決め手になるのでしょう。
そこには愛の心があるから相手に伝わるのです。
愛がないのに言うのは業としかいいようがない。
やはり愛こそすべてなのですね。

次回は「たとえどのような姿に見えようと」というテーマでお話させていただこうと思います。

2009年11月 3日 (火)

No22.簡単に言えるごめんね。簡単に言えない大切なごめんね

PTAのママ友ユニット、コクーンの作品に「ごめんね」という曲があります。“大好きな人を怒らせてしまった、悲しませてしまった。うまく伝えられなくて、わかりたいのに、分かり合えなくて…ごめんね”という内容の詩です。
私たちは普段、簡単なごめんねは言えますよね。でも本当に言わなくちゃいけない“大切なごめんね”は、なかなか言えないことが多い……。
そこで今回は「簡単には言えない大切なごめんね」についてお話させていただこうと思います。No.18「そのひと言が人生最後になるとしたら…」に通じるものがありますので、こちらもあわせてお読みいただけたらと思います。

Photo_18 *無理をせず本心を打ち明けていたら
これまた私のお恥ずかしい話です。
実は私もつい先日、5年間、疎遠にしていた親友に勇気を出して、「私もゴメンネ」と言ったのです。
疎遠になった大きな原因は、彼女が職場での人間関係で怒り、悩んで、その相談&愚痴を私は何度も聴き、あげく私への当てこすりを行ったからでした。
彼女もとっても辛かったのでしょう。これはエネルギーが欲しいとき、無意識にやりがちなことなのですが、やられたほうは……。
そこで私は何も言わず距離を置きました。
私も私でソウルメイトの親友が亡くなったばかり。おまけに体調も悪く休業をして通院養生している最中だったので、彼女のエンドレスな話と状態を受け止めるには、ちと、きつかったのですね。
私の悪かった点は、「私も今、心身ともに辛いのよ。愚痴を聴くのはいいけど、当てこすりは止めてよね」と言えなかったことでした。さらに「なぜ、聴いてくれてありがとう」が言えないのだろうと相手を責める気持ちが湧き上がったのです。
私もかつて今は亡き親友に、某放送局で辛かった時期に何度も話を聞いてもらい、励ましてもらったことがありました。無限の愛を注いでもらったのですね。その経験があったので、今度は私がそのようにさせていただいたのですが…力及ばず、相手を受け入れる器がいっぱいいっぱいになってしまっていたのでした。
あのとき、もっと上手に、もっと早く、天にその想いをお返しすることができていたら……。無理をせず、本心を話していたら…未熟だったなぁと思います。

*私は本当の友達ではなかった
電話をしても素っ気ない私の対応、おまけにこちらからは連絡をしなくなったので気づいたのでしょう。でも「ごめんね」は無かった……。言い出しづらかったのもあるでしょうし、「それなら、イヤダって言えばいいじゃない」とも思ったのでしょう。当然です、友達なのですから。
私は話を聞きながら、ただひたすら彼女の平安を祈っていたのでした。
ですが本当の友達ならば、いけないことはいけないと言って、心無い行いをやめさせれば良かったのです。言えば分かったはずなのです。その状態を許していたのは、私自身だったのです。本当の愛は時には厳しさも必要であるということが私は出来ていなかったのでした。
こうして30年来の付き合いがピタリと止まりました。それからは他人行儀な年賀状のやり取りだけになり、いつしか5年の月日が流れていきました。
私はこのところ、「悔いなく生きたい」という気持ちが強く、万が一、早々に天に帰ることがあっても「あの時こうすればよかった、あのこじれたことを解いておけばよかった、関係を修復すればよかった」という後悔の思いを残したくないなと思い始めていたのです。
そこで言葉についても「その言葉が人生、最後の言葉になるとしたら」をピュアハート・No.18に書きました。自分自身が書いたことが後押しとなり、思い切って再会して心の内を話し、からまった糸をほどく決意をしたのです。

*言葉がなくても通じる想い
電話の向こうの彼女はとても嬉しそうな声で、私も心からホッとして会う約束をしました。
久し振りにお宅に伺い、成人した子供たちも元気で、嬉しそうに迎えてくれました。堅い挨拶は抜きでお互いの近況報告。5年の隔たりなんてまるで何も無かったかのようでした。
さて、私はそこで本人に「なぜ、自分が離れたのか。」ということを含め、話し合ったでしょうか? 答えは、ほぼ、ありませんでした(笑)。
言葉にしなくてもお互いにわかっているのが充分、伝わっていたからなんですね。まるで先週、会ったばかりみたいにお茶を飲み、笑いあい、近況を話していました。それがとても自然だったのです。
少しだけ、ふたりとも大人になったのでしょう。長年の友情と信頼が一気に時を埋めてくれたのです。
ただ、私は「イヤだと言わなかった私も悪かった。ごめんね」と言いました。言わないとスッキリしなかったのです。彼女は照れくさそうに笑っていました。自分のしたことがわかっているのです。あえて謝罪などはありませんでしたが、その照れくさそうな笑顔で充分だったのです。
私もすでに「ごめんね」を相手に求めてはいなかったからです。

*正しいにこだわると大事なものがこぼれ落ちる…
大好きだからこそ、こじれたとき余計反発する。「もう絶対、イヤ!」という気持ちも強くなる。どうでもいい人にはそんな感情は湧きません。好きだからこそ、気になる人だからこそ、その気持ちのふり幅が大きくなる……。
人間って本当に不思議です。皆さんもそういうことってありませんか?
なんでもない「ごめんね」は簡単に言えます。でも「本当に大切なごめんね」は、なかなか言えません。私もこのことでは5年かかりました。時間が解決してくれることもあるでしょう。何も言わないでいるほうが良いこともある……。
でも「あのとき謝っておけば、こんなことにならなかった」ということもあるのです。最近の事件、特に親子・兄妹間の悲惨な事件など目にするとそう思いますね。不用意なひと言が命を奪うケースもあるのです。
「ごめんね」が言えないのは、プライドゆえのこともあるでしょう。「自分が正しい!」と思っていることもあるでしょう。または「なんで私が謝らなきゃいけないの?向こうが悪いのに」などなど。
そうやって自分の正しさに固執していると心が堅くなってしまうような感じになって、私はとても居心地が悪くなります。負けるが勝ちではありませんが、そういう“心に負荷をかけるような感情”は手放してしまった方が楽になるのではないでしょうか。
私もそうでしたが、誰もが自分が正しいと思っているのではと思います。そこにこだわると大事なものが手のひらからこぼれ落ちていく……。大きな目で観れば、生きている時間は短いのです。もったいないことだなと思います。
時の流れの視点を変えてみれば、前世で自分がそういうことをしていたのかもしれません。
そこで今回は「気がつきなさいよ。前世での失礼をチャラにしなさいよ。」とバランスを取るためかもしれません。起こることはすべて「自分には関係ない、私は悪くない」ではないのでは、と思うのです。
囚われ(とらわれ)を手放す、とでもいうのでしょうか。時間がかかってもそのほうが心の健康のためにもイイナと思いました。赦す(ゆるす)とは、こだわっている想いを手放すことなのかもしれません。

Photo_19 *相手を赦すことは自分を赦すこと
彼女のお家に伺ったときは、ちょうど家族の大問題が持ち上がっていたときでした。帰り際にご主人から「いいときに来てくれた」と感謝されました。
本当はもう一ヶ月ほど早く行きたかったのですが、調整がつかずその日になったのですが、どんなときでも、神様は無駄なことはなさらない、必要必然で人を動かすのだなぁと思いました。
自分の自我欲望をなくして、直観と流れに逆らわず動くとき、天はすべてに一番良いようにしてくださるのですね。だからお任せしていて大丈夫、とはこのことなのだと思いました。
お互いに会わなかった5年間に様々な事がありました。その間、一人で考え、友とは…と思いを向けたのも良い機会だったのだと思います。私も同じ時期に大切な友をふたりも失ったのですから。

少しの勇気と本当に大切な「ごめんね」を言えたとき、私たちの背中に天使の翼があるのなら、その翼はさらに大きく美しく羽ばたくのでしょう。たとえ、「ごめんね」を相手が受け取らなかったとしても、やるだけやった自分を愛おしいと思うのではないでしょうか。
ごめんねを言いたくてもすでに相手が亡くなっていたり、法的に会えなかったり、今、どこにいるか分からなかったり、過ぎたことで今さら会うのも……などなど。
そのときは心の中で「あのときはごめんね。」と相手の方に想いを送ってみてはいかがでしょう。そして相手の幸せを祈ってみる……。たとえ会わなくても、その想いは確かな光として、その方に届いていると思うのです。
相手を赦すことは、自分を赦すことでもあると思うのです。
「あのときはごめんね」が言えたら、そこにまたひとつ光の輪が生まれることでしょう。

次回は「この瞬間は光でいっぱい」というテーマでお話させていただこうと思います。
私が体験したちょっとスピリチュアル系のお話です。

2009年9月 5日 (土)

No.18 そのひと言が人生最後になるとしたら……

言葉には計り知れない力があり、愛のある言葉は生きる勇気や希望の光となって、心の中で輝き続けます。
それでも時として、つい口からこぼれてしまう否定的な言葉……。口は災いの元、なんてよく言いますよね。
いくら気をつけていても相手の方の受け取り方もありますし、悪気のないウッカリ発言もあります。
そこで今回は私が日ごろから人との会話の中で「この一線だけは越えない」と心に強く思っていることをお話させていただきますね。

Photo_27 *言葉と心は繋がっている
私は今でこそ、さほど注意を払わなくても否定的な言葉をあまり使わなくなっていますが、それまでどれほど心無い言葉を口から出してしまったことか……。
後悔が重なり「絶対、愛の無い言葉は口にしない」と固く決意してから、もうどのくらい経つのでしょう。
時間の流れの中で自分の心が愛に満たされ、自分を大切に思う気持ちの比率が上がるにつれ、人を傷つけ自分を傷つけるような言葉は言わなくなっていきました。心と言葉は繋がっているのですね。

*大切な人を亡くしたとき……
そんな私がいつも心の奥で強く思っていることは、「このひと言が人生最後の言葉になるとしたら」ということです。
そんな辛気臭い、縁起でもないと言われそうですが、そうなんだから仕方がない(苦笑)。
というのも、私は5年前に大切なソウルメイトの親友を病気で亡くしています。
正確に言うと持病の悪化と風邪が重なり、苦しいのを治してもらおうと救急車で病院のER(緊急救命室)に運び込まれ、ご主人に手を振って「行ってくるね」と笑顔も見せて、治療室に入っていきました。
ERから出てきた彼女は意識がなく、そのままの状態で一ヵ月半後、天へと帰っていきました。最後の言葉が「行ってくるね」だったのです。

私には救急車に乗る2時間前に「ちょっと体がピンチ!」というメールを送ってくれていました。「いつも降る星のごとく、はるちゃんに愛と光が降り注いでいますように」という言葉とともに……。
PCに届いていたメールを開けたのは着信から5時間後でした。もう夜中なので着信音で起こしてもかわいそうと思い、翌日、代替医療の信頼できるドクターの情報をレスし、励ましと祈りのメールを送りました。

それから5日後の夜、ご主人から電話があり「ようやく、はるちゃんがつかまった!」と電話口で泣くのです。
彼女の弟さんが電話に代わり「みどりちゃんが…」と知らせてくれたのでした。
ご主人の手元にあった私の連絡先は引越し前の古いもので、必死に私の連絡先を探していたそうです。
意識が無く、たくさんの管を体に差してベッドに横たわっている彼女の姿を見た後、私は「最後に会ったのはいつだったろう、何を話したんだっけ…」と思い返していました。
もっと会っておけば良かった、もっと早く帰宅してメールを読んですぐに電話をしていれば、もっともっと……。
これが最期にならないようにと祈りながら。
それでも彼女は「もうこの世に未練は無い」と私の心に伝えてきます。ただ、「ずっと一緒にいるからね。そばにいるよ」というメッセージを送ってきました。
「ずっと一緒」というそのメッセージだけご主人に伝えて、私は彼女が旅立とうとするのを見守るしかありませんでした。

*たとえ正義であっても
私は命の片割れのような親友を亡くし、愛する祖父母を見送り、人の死というものを身近に体験しています。皆さんも同じですよね。
輪廻転生を信じ、命は永遠、魂は不滅と深い意識レベルで知っていても、それでも肉体での別れは切ないものです。
人はそれぞれこの世に降りて来るとき、生きる年数を決めてくるといわれています。天からいただいた命、定命です。その命の終わりのときは分かりません。
だからこそ、今という時間を大切にしたい。今、目の前にいる人にやさしくできるか、温かい交流を持てるか。
私にとってはとても大切なことなのです。
もし、自分の感情に従って(負けて)、たとえ正義であれ、心無い言葉で相手を傷つけたとしたら、冷たい態度で相手に悲しい思いをさせたら……。もし、それが相手にとっても、自分にとっても、それがこの世での最後の記憶になるとしたら……。
“刹那的な考え”と言われても、私にはそれは耐えられないことなのです。

Photo_28 *人との大切なご縁
命はいつ終わりを迎えるか分からない。どれだけ愛の心をこの世で実らせ、光らせ、愛を表現できたか。それだけをこの世での成績表として天に持って帰れるのでは思います。
人と会って別れるときに「じゃあまたね」といってバイバイしますね。そのとき、明るい笑顔で「またね」と言いたいと思います。
相手の心にも自分の心にも痛みを与えないように、影を落とさないように。自分から縁を切らないように、人との別れは自然の流れに任せられたらいいなぁと思います。
なかなかそうはいきませんが……恋愛とか結婚とかは特にね(苦笑)。
真意がうまく伝わらなくて誤解されちゃったり、「そんなつもりで言ったのじゃないんだけど」とか、気がつかないうちに相手を傷つけていたりとかもありますよね。また自分自身がデリケートになり過ぎていたりとか……。
そんな痛い経験もしながら学び、愛を深めていくのでしょう。
どうしても苦手な人には、「ご挨拶だけはちゃんとして、あまり深入りはしない」としていますが、この辺、私ももう少し成長しなくちゃなぁと思うところです。
すべてサラサラ流せて、これが最後に…なんて考えることもなく、あるがままに生きて行けるようになれたらいいなと思います。

もし、その言葉が「この世での最後の言葉」になるとしたら、私はやはり愛の言葉でありたいと思います。私の親友は計らずも「行ってくるね」という言葉を微笑みとともに家族に残し、本当に天へと帰っていきました。
私も言葉と想いと態度を一致させて、温かい愛の交流をしたいと思います。自分も相手も痛めつけなければ、今いるこの足元から光が広がって、その光はやがて世界を包むことでしょう。世界人類が平和でありますように

次回は「ヒーリング~未来の私からのメッセージ」をお話させていただこうと思います。

2009年8月20日 (木)

No.17 愛を受け取ろう~褒め言葉は神様からの贈り物

人から褒められたとき、あなたはどうしますか?
照れちゃって「いえいえ、そんなことは」と言っていますか?
素直に「嬉しい~~、ありがとう!」と相手に抱きついちゃいますか?(笑)。
私は照れくさくて、つい、「いえいえ、まだまだ」と言ってしまいます。
そんな私が「褒められたら素直に喜ぶ」というまたまた無謀なテーマでお話をさせていただきます(苦笑)。
褒め上手なのに、褒められるのは苦手、という方が結構いるんですよね。私もそうです(笑)。
Photo_29 愛のある言葉で相手を褒めて、自分も褒められて素直に喜べるようになったらステキだなぁと思います。気持ちと愛の言葉のいい関係を結びたいですね。

*それって褒めてるの?
私は長い間自己評価が恐ろしく低い人間でしたので、人が褒めてくれても素直に「ありがとう」が言えませんでした。
言われて嫌なのでなく、照れくさいのとそれ以上に、「私がそんなに良いわけがない」と思い込んでいたのですね。だからせっかく褒めていただいても頑なに褒め言葉を否定していたのです。可愛くなかったですねぇ(苦笑)。
これは相手からのプレゼントを突っ返しているようなものですよね。物ではなく言葉のプレゼントだったのに。
さらに社交辞令で褒めてくれているのか、本心で褒めてくれているのか、頑なに心を縛っていたため、その当時は見分けがつかなかったのです。まったくトホホです。
また私の友人で、以前は褒められると怒ったという強者(つわもの)がいます。「褒めてなんかくれるな!厳しくしてくれ!」というわけです。今は褒められると照れくさそうに軽くうなずいていますが(笑)。
本当に反応は人それぞれだなぁと思います。
今ならば、本心から言ってくださっているのか、社交辞令なのか、おだてなのか分かります。時々、気の置けない友人から「それって褒めてないじゃん!」という笑っちゃうような褒め言葉も貰いますが、友人ならではのたわいもないユル~イ会話です(笑)。

*愛のない褒め言葉はサラリと流そう
人を褒めることに関しては、私はかなりイイ線をいっていると思うのですが、褒められることに関しては、かなり修行をした気がします(苦笑)。
相手からの愛を素直に受け取る準備が出来ていなかったのですね。
かなり時間をかけて自己評価を高め、自分の長所欠点も受け入れて、自分を大事に思えるようになってきて、ようやく人からの褒め言葉も照れくさいながら感謝を持って受け取れるようになりました。
ただ、私の周りのバランスの良い友人でも、一見褒めているような心無い言葉を言われ、傷ついた人もいます。
「そんなこと、気にしない、気にしない」と言ってみても、小さな警戒心が生まれ、敏感になっていくのです。
受け取る側の責任、と言うのは酷だなぁと思うのですが、私もそんなとき、サラリと流して行けるようになっていきたいものだと思いました。
もちろん、そういうことを言う人の品性はみんな見ていますから、結局、愛のない言葉を言う方は損だなと思うのです。

Photo_30 *褒め言葉は神様からの贈り物
褒め言葉を贈る~受け取る……。言うほうは、そのときそう思ったから言いますよね。
でも意外とその後、言ったことを忘れて、「そんなこと言ったっけ?」ということもありますね(笑)。
言われたほうは、感激して心の奥にしまい、その言葉を大切にしていることがあります。
その言葉が生きる励みとなり、この先の希望となることにもなるのですね。まさに言葉の持つチカラの良い例です。
だからね、褒め言葉はもしかしたら神様がその人を通して贈ってくれているのかもしれないなと思うのです。
日本人は謙虚が美徳、とされていますので、おおっぴらに喜ぶのを慎んだりしますね。
私も「いえいえ、そんなことは、まだまだです」とか言うのですが、言っていただいたことが本当に嬉しかったときは、「心の大切なところにしまっておきます」「この先の励みにします」と感謝の気持ちを言うことが多いですね。
言ってくださったその気持がありがたいなぁと思うのです。
またよく知った方だと嬉しくて抱きついちゃったりしますね(笑)。
さらに何度か涙が出て声にならなかったこともあります。
言われて嬉しい気持ちの表現は人それぞれだと思いますが、素直に愛を受け取れたら本当に幸せですね。
褒められて恥ずかしくて頬を染めて、小さな声で「ありがとう」と言うだけでも、褒めた方は嬉しいと思いますよ。そしてあなたの心にも温かい光が灯る……。

相手を称える気持ちを言葉のブーケとして贈りあえたらどんなにステキでしょう。
日常的に相手の素晴らしいところを認めて、褒めて、そして自分も自分の良さを認めて、褒めてもらったところをさらに延ばして行けたら……。
お互いに温かい心の交流を持って毎日を送れたら、やがて私たち地球人の精神性がさらに成熟し、争いのない豊かな社会となり、世界は平和になっていくのでしょう。
愛を与えるだけではなく、愛を受け取ることも大切なのですね。



2009年7月22日 (水)

No.15 心の持つチカラ(1)~心のエネルギーをひとつにすると願いは叶う

今回の更新はちょうど皆既日食に当たります。新月のスペシャル・バージョンと言ってもいいですね。
何か新しいことを始めたり、やろうと決意をしたりする時にはピッタリの日です。
そこで今回は、「心のエネルギーをひとつにすると願いは叶う」ということについてお話させていただきますね。
言葉の持つチカラを支える「心の持つチカラ編」はちょっとだけ上級です(笑)。
4月25日付のピュアハートで「言葉の持つ力(1)宣言をすると願いは叶う」を書きました。是非、こちらも振り返っていただきながら、言葉と心の最強タッグで夢を実現させていきましょう。
言葉は心にチカラを与え、心は行動にチカラを与えます。そして行動は習慣を変え、人生を変えていくのです。

Photo_36 *思いの強さがチカラとなる
私は今までたくさん心のエネルギーの無駄遣いをして、夢が叶うのに時間がかかってしまいました。ですから叶えたい夢をお持ちの方が、効果的に心のチカラを使ってくださるといいなと思います。
心のチカラ、言い換えれば、思いのチカラと言ってもいいでしょう。念力というと、ちょっと怖い(笑)。
それだけ思いの強さで良いことも悪いことも願いが成就してしまうのです。だから上手に心のチカラを使いたいものですね。

*決めたら迷わず進む
さて、話を戻して「私は今までたくさん心のエネルギーの無駄遣いをしてきた」と言いました。
無駄遣いとは、叶えたいことがあるのに色々迷ったり、あっちこっちに手を出して、100%思いを目標に注ぎ込めていない状態です。
私の場合だと、この先もずっとフリーでやっていこうか、それとも事務所に入ろうかと迷った時期がありました。
だからあっちにフラフラ、こっちにフラフラしていたことがあったのですね。迷っている間に原稿の一枚も練習すればよいのに、ただ迷って悶々と時間を消費していたのです。どうしたらいいか考えていたのではないのです。
ただ迷っていたんです。
しっかり自分を見つめていなかったせいでしょう。
今、振り返るとこれらも決して無駄ではなかったのですが、願いを成就させるにはかなり回り道となったのも事実です。
どっちでもいいから決めて、決めたら迷わず進む。
進んでダメだったら違うやり方を探せばいいのです。
要は「腹をくくる」に通ずるのかもしれません。

*心の純度の高さ
受験勉強に例えてみると分かりやすいでしょうか。
入りたい大学がある。それに向けて対策を練り、プランを立て、集中して勉強していく。希望の大学に向けてまっしぐらですよね。
でも、もうひとつやりたいことがあって、仮に旅の仕事にも興味があるとしましょう。そこで海外添乗員にもなってみたくて、ツアーコンダクターの勉強も始める……。
大学の受験勉強とツアコンの勉強の二股です。
何を勉強しても無駄ではないけれど、エネルギーは分割されます。100%使えません。
ましてや受験日という期日が迫っている、という時です。
二兎を追うものは一兎も得ず、ですね。
これは子育てと仕事の両立をしなければならない、というのとは訳が違うのです。
心の中に将来の夢として青写真はあっても、まだ現実では形になっていないものに対して、自分の心のエネルギーを100%使って成就させるわけです。
ですから、「心の純度の高さ」が勝負になるのですね。
私はイチローと石川遼君のひたむきにひとつのことを成し遂げようとする姿に、いつも心の純度の高さを感じています。

*誰にでも奇跡は起こる
やりたいことに向けて懸命に自分の時間を使い、思いを100%向けてやっていると不思議とアイディアが浮かんだり、人からチャンスとなるような情報が入ってきたりします。求心力に似ているのかもしれませんね。
意識を集中して取り組んでいれば、周りも応援してくれるのです。その応援のパワーは奇跡のように扉を開けるチカラをなってくれるのです。
しかも、やっていることが大好きで楽しくて仕方がない。
だから完成までの道のりに、願いが叶うまでに、キツイことがあっても、歯をくいしばって乗り越えていけるのです。
そういう人に、人は集まってくるのですね。
誰にでも奇跡は起こるんですよ。
これを是非、あなたにも経験していただきたいなぁと思います。
(この辺については1月26日付「心の奥から湧き上がる思いを形に~イベントプロデュースその2」をご覧になってくださいね)

Photo_35 *否定的想念を入れない
ここで気をつけることは、壁にぶつかったとき、「出来ない、無理」と否定的モードに入ってしまうこと。スランプは誰にでもあるのです。
目標に向かってがんばっているとき、「やっぱり無理、出来ない、間に合わない」なんて言うのは、一生懸命、海面に出ようと水を蹴っている足に錘(おもり)をつけているようなものです。
海面だけ見てふ~っと上がっているときに、上がらないように負荷をかけているのですね。
これがエネルギーを分割している状態なのです。
心の純度の高さ、エネルギーを下げちゃっているのです。もったいないでしょ。
だから言葉のチカラも借りて「絶対、大丈夫。絶対、出来る。絶対、この願いは成就する」と言っていれば、エネルギーは分割されないので、願いが叶いやすくなるのです。そのようになっていくのですね。否定的想念を入れない。これがコツです。

*幸せにつながる小さな願い
私は自分のことも含め、たくさんの方にインタビューをしてきましたが、ほぼ共通していることは「その人が本来やるべきことに気づき、懸命に取り組み始めると道は開ける」ということです。天職ですね。
特に、世の中の役に立つこと、人の心を大切に豊かにしていくこと、平和に関すること、地球とすべての生命に役立つことなど、他者に対する愛から生まれた思いは、驚くほど速いスピードで成就するように思います。
自分を生かし、人を生かし、地球と共に生きていく……という感性がこの時代、いかに大切かが分かります。
そして夢を叶えて手に入れるものは、決して特殊な才能を生かした仕事だけではないのです。
ごく当たり前の日常を愛の心で過ごすこと。その中の小さな幸せにつながる願い……。この積み重ねが美しい人生を織り上げていくのではないのかなと思います。
私もあなたの心にあるあたたかい光を、あなただけの大切な思いが叶うことを心から応援し祈っています。
ときにはお月様のチカラもお借りしましょう~。

さて、夢が叶わなかったとき、どう思えばいいのか。
次回はそのことをテーマにお話させていただこうと思います。龍村仁監督から伺った貴重なお話です。

2009年7月 7日 (火)

No.14「言葉の使い方実践編(2)~“でも、だって”を使っていませんか?」

Photo_38 この「ピュアハート」で書いていることは、私自身が自らの「やっちゃったなぁ~」という失敗経験から学んだことばかりです。どなたかのお役に立てればと思い、書かせていただいていますが、けっこう恥ずかしかったりして(苦笑)。

さて、今回はちょっとした言い方で、あなたの魅力がグ~ンとアップする言葉の使い方実践編の2回目です。
「その考え方、ちょっと違うなぁ」とか「そうは言っても」と言いたくなる時ってありますよね。
「私はそうじゃないの」と反論することもあるし、言い訳をしたいときもある……。そこで、そういう時の上手な言い方をお伝えしますね。
今回は簡単明瞭。たったひと言で受ける印象がガラッと変わりますよ。
結論から言ってしまうと、「でも」と「だって」を使わない。これだけです。

*実は私も言っていました
私は以前、大変お世話になっているアナウンサーの大先輩から「君は、“でも”と“だって”が多すぎる」と言われたことがあります。もちろん放送中での話し方ではなく、マイクを離れた素の状態のときの私の会話についてでした。
知らない間にクセになっていたんですね。「はい」の代わりに言うような相槌のようなクセ。それが、「でも、だって」になっていたのでしょう。
もちろん、自分の気持ちを伝えたい。「でも、そうじゃないんです」「だって、しょうがないじゃないですか」「でも、それより、こっちのほうがいい」「だって、無理なんだもん」……。
言う方は一生懸命です。言われた方は、あまりいい気がしません。反論されたわけですよね。気持ちを伝えようと話をしているのに「素直じゃない」って思われてしまっている。損ですよね。
大先輩から忠告されて以来、私は反省してこの言葉を極力、使わないように気をつけました。
お叱りは痛かったですが、これにより人とのコミュニケーションが格段に良くなったのです。
あのとき、このことを教えていただかなかったらと思うとゾっとします。

*そんなつもりじゃないのに
立場を換えてみるとよく分かりますよね。
相手に良くなってもらいたくて注意をする。自分の意見を述べる。普段の何気ない会話……。
さまざまなシーンで話しているとき、相手の人が「でも、だって」を頻繁に言ったらいい気がするでしょうか。
「でも、だって」は反対意見の言葉です。
「でも、だって」をしきりに言われたら、もう話すのがイヤになってしまうかも。特に、うんと年上の方にしてみたら「生意気」と取られてしまうこともあります。そんなつもりで言ってるんじゃないのに損しちゃっているわけです。
もちろん、自分の意見を言う事は大切です。反論することも大切です。
そこで、「でも、だって」の代わりに使える言葉をお教えしますね。

Photo_39 *お助け言葉はコレ!
それは、「ただ」という言葉に置き換えればいいのです。または「そうなの(?)」も使えますね。
例文を挙げてみましょう。
「でも、その時間じゃ間に合いません」→「ただ、それですとその時間には間に合わないのですが」
「でも、もう休みたいんです」→「ただ、今はちょっと休みたいと思っています」
「でも、今度は無理!」→「ただ、そうねぇ…。次がいいかな」
「えー、だって黄色の方がいいじゃない」→「そうなの?私は黄色が好きだなぁ」
「だって、間に合わなかったんだから、しょうがないじゃない」→「そうなの。だから間に合わなかったの」

気がつきましたか?この言葉に置き換えると、言い方が柔らかく丁寧な感じになるんですね。
「でも、だって」だと、キャッチボールではなく、バッティングセンターのように、相手が投げた言葉をカキーンと打ち返してしまうのです。
「ただ」「そうなの」は一回、相手の気持ちを受け止めているんですね。言葉と気持ちをひとつにした相手とのキャッチボールになります。これがポイントです。
「そうなの」を言いづらいときは「そうかなぁ」とか「そうなの?」という変化球にすればいいのですね。
たしかに「でも、だって」を使うと会話のテンポは良くなるので、気心が知れた仲良しグループでおしゃべりしているときには楽しさ倍増、話が弾んでいいでしょう。私もそういうときは使っていますねぇ。
ただ、オフィシャルな場面や上司や目上の方と話すときなど、気をつけたほうがいいと思います。
急には身につかないので日ごろからお友達を相手にして、少しづつでもいいから言い慣れていくといいでしょう。

たったひと言、言い換えるだけで、人とのコミュニケーションがグ~ンと良くなり、あなたの好感度が上がりますよ。
言葉への意識は、人への気遣いであり、優しさにつながります。
「でも、だって」の代わりに「ただ」という、このひと言を使って、あなたも明日から言葉美人になってくださいね。

次回は「心のエネルギーを分散させなければ、願いは叶う」についてお話させていただこうと思います。

2009年6月 8日 (月)

No.12 言葉の使い方実践編(1)~NOの言い方、上手な気持ちの伝え方・後編

今回は「NOの言い方、上手な気持ちの伝え方」の後編です。
なかなか言いづらいお断りするときの言い方などについてお話させていただきますね。

Photo_43 *お断りするときの言い方
頼まれたんだけど出来ない、誘われたんだけど行けない、ということもけっこうありますよね。
これはもう皆さんやってらっしゃることだと思いますが、断るときは「残念だけど」の一言を添えてお断りすると角が立ちませんね。
たとえば「誘ってくれてありがとう。とっても行きたいんだけど、○○があって行けないの。残念だなぁ。また誘ってね」と。
もっと良い言い方は、
「誘ってくれてありがとう。実は今月末まで予定が入っちゃっているの。残念だなぁ。○○頃になったら行けると思うよ。また誘ってね」など。

仕事を頼まれたときなどは、「残念」ではなく、具体的に状況を言って先方に納得していただく言い方をすると印象が良くなりますね。
例としては
「今、○○で手一杯です。○○頃には手が空きますので」
「ひとりサポートをつけていただくと締め切りの○時には間に合うと思います」など。
つまり、“今すぐには出来ないけど、いつになったら出来る”“こうしたらあなたの言う事は出来る状態になる”という肯定的な言い方で対応すると良いのですね。
このように最初からむげに断らないでいると相手は気分を害さずにすみ、あなたへの風当たりも柔らかくなるのではないかしら。

さて、ここで気がつきましたか?上記の文例で言っていない言葉があります。
そうです、「ごめんなさい」を言っていないんですね。
何も悪いことをしていないときは、また謝らなくてはいけないとき以外は、「ごめんなさい」を言わなくていいと思うのです。確かに人間関係の潤滑油として「ごめんなさい」は使い勝手が良いのですが、比較的、弱い立場にいる人が「ごめんなさい」を連発していると、ストレスのはけ口にされちゃうことがあるので要注意です。
優しい良い人イコールNOと言えない弱い人、と思われるようであっては自分自身がかわいそうじゃありませんか?

*NOを言うときに気をつけること
言い馴れていない人がいざ、NOを言う時はドキドキですよね。もう心臓が飛び出ちゃうかと思うくらい。
さらに、「プチッ」と気持ちが切れて、バズーカ砲のように言ってしまったり(苦笑)。
そこで、ちょっと難しいかもしれませんが、言う時に“心臓がバクバクしていたら”言うのは止めましょう。怒って感情的に自分の気持ちを言ってしまうと後で後悔するし、相手と感情的にもつれてしまいますよね。
だからこそ、気持ちが落ち着くのを待って、自分の気持ちを伝えましょう。必ず、相手に伝わるはずです。ケンカをしたいのではなく問題を解決したいならば、気持ちがバクバクしていないときに言ってみましょう。ただし、「去年の事だけど」はどうかと思いますよ(笑)。
そこまでしても伝わらなかったら、あなたが心を痛める必要はないのでは…。おそらく、誰に対してもそうで、みんなが困っている人なのかも。(まぁ、身内だとそうもいかないですよねぇ、この辺が難しいところ…)。
さらに言うときは真顔で。真剣に。本当に困っているから止めて欲しいという時は、その気持ちが伝わるためにも、笑顔や柔らかい表情はOFFにしましょう。

*セクハラ、パワハラ、痴漢などには毅然と抗議を!
自分が納得できず、必要以上に心を痛めてしまっている場合、理不尽な迷惑行為には断固抗議しましょう。もちろん、相手の名前を入れてNOを言いましょう。立場が弱いから、面倒を起こすとこの場所にいられなくなる、などといっていてはいけません。セクハラ、痴漢など論外です。

Photo_44
パワーハラスメントの場合、先に同僚やお仲間に話を聞いてもらいましょう。みんなにもそういうことをしているのか、自分だけなのか、前例はないのか、もしかして自分のウッカリが重なって叱れているのか、育てようとして厳しくされているのか……。一概に叱責をいじめと捉えてしまえない場合もあるのです。
理不尽に辛く当たられるときは職場ならばしかるべき機関へ、もしくは問題の方より上の立場の方へ状況をお話してアドバイスをいただくのもいいでしょう。そのときは、いつ、どこで、どのように言われたかという記録をつけておくといいですね。
お友達でも意地悪をするような人は友人とは言えないのです。離れてしまってもいいではありませんか。揉め事は起こしたくないけれど、自分の身と心を守ることも大切なのです。
気がついたらどうしようもないほど身も心もボロボロになってしまっていたならば、無理にその場にいないで離れましょう。休んで自分を回復させてあげましょう。

*あなたは守られているのだから大丈夫。
やがて心が成熟してくると「何かのご縁でこういうことが起きているのだなぁ。体にウィルスが入ったから熱が出て体を直そうとしているのと同じで、良くなるために今このタイミングでこの事が起こったんだな」と思え、心を痛めず受け流して行けるようにもなるのですね。すべては偶然ではなく、必然であると……。


パワハラやいじめなどをする人は確かにやっていることはいけないことだけれど、その人にしてみたら、攻撃することで、そうやって自分を守ってきたのかもしれません。そうしなければ生きてこられないと思っていた……。まぁ、罪を憎んで人を憎まず、に通じるものがあると思うのですね。

あなたは、辛いことは「辛い」と言っていいんですよ。
生きているといろんな出来事に遭遇します。楽しいことやうれしいこと、そして、どうにもならないように思える窮地……。でもね、たとえどんなに八方ふさがりに思えても、天は開いているのです。四方壁にふさがれていても自分の頭上は開いているでしょう?
そこから絶え間なく慈愛の光が、生きていくための素晴らしいエネルギーが自分に降り注いでいるのです。私もそう思って何度も心が救われたことがあります。だからどんなときでも「必ず良くなる、絶対大丈夫」と魔法の言葉をつぶやきながら進んでいきましょう。心晴れ晴れと生きていきましょう。
必ず、あなたのことを認めて、見ていてくれる人がいるのです。そして見えない存在がしっかりとあなたをガードしてくれているのです。だからひとりではないのPhoto_42 ですよ。

*「わたし」という言葉は、この宇宙であなたひとりしか使えない。
「わたし」という言葉は、とてもパワフルで、自分しか使えない言葉です。そして「わたし」は、この宇宙の中の、たったひとつのオリジナリティな尊い存在なのです。「わたしは」と言うと、それは力を持ち、言った言葉を現実化していきます。
だから「私は素晴らしい、私は絶対大丈夫」とお念仏のように言っていきましょう。
そうは思えなくても言葉のチカラでそうなっていきますよ。気持ちは追いついてくるから大丈夫。あなたの美しい命を輝かせて毎日を過ごしてくださいね。

【今回のPOINT】
・NOを言うときは初めから否定するのではなく、「このようになったら出来る」という肯定的な言い方をすると良い。
・言うときに心臓がバクバクして、感情的になりそうなときは言うのを止めること。
落ち着いてから言いましょう。
・パワハラ、セクハラ、いじめなど、はっきりとNOを言うこと。
・罪は罪として、されど人を憎まず。
・あなたは守られているのだから大丈夫。
・「わたし」と言う言葉は、この宇宙であなたしか使えないパワフルな言葉。

次回は「そのままでいい」ということについてお話しさせていただこうと思います。